Diary-2003/11  Top Diary-2004/1
有言実行

来年の抱負が決まってしまった。

札幌に住んでいる裕子の中高の同期、高橋夫婦が東京に遊びに来たので、昼飯はハイナンジーファンにてチキンライス食べた(また食ったのかよ!)。今年最後の営業日ということで、マンゴープリンをちょこっとおまけしてもらったり。行ってみるもんだ。

その場で、今年いかに裕子がジョギングを通して痩せたか、ストレス発散したか、体力をつけたかという話になり、じゃあ高橋の旦那も最近太り気味だから走るか?体力つけるか?体重減らすか?という話になった。あれよという間に、絶対だな、命かけるか?おう、かけるぞ、そら書いた「命!」 (ふるっ)みたいな話になって、気付いたら来年の彼の目標は3キロ痩せることになった。

大切なのは有言実行すること。無言実行が日本的な美徳とされているけれど、無言だと無実行になる恐れがある。じゃあ、有言してから実行だ、そうだ、じゃあ俺は来年何をしよう?ということで、一番改善したい睡眠リズムの乱れを直そうということに。来年は、平日は1)8時出社 または 2)朝1時間のジョギング後9時出社 という壮大な目標をかかげ、そのために就寝時刻は12時ということに。

12時に寝て、7時に起きる。普通の人からすれば「なんだそれ、簡単すぎるじゃん」と思うかもしれないけれども、今の僕の生活リズムは2時就寝9時起床。東京とモンゴルぐらいの時差でここ4年間過ごしてきている。

4年間実行してきたことを変えて習慣付けるには、1ヶ月はそれを続けないといけない。なので、今から来年の1月末までそれを守れるかが勝負どころ。それでできないようなら、来年1年かかっても直らない。

それをするためにも、今日は12時には寝て、明日は7時に起きる。ちなみに会社は休み。毎朝はなまるマーケットが始まるずっと前から起きて、夜も早く寝る。これが僕の来年の目標。守るぞ!がんばれ俺!有言不実行は避けるぞ!「どうせ無理さ」なんて言わないで。

2003/12/28


PCとピアノとマラソンと

柱を三つから四つへ。

元々それほどアクティブな性格ではないので、ひっそり一人でPCをいじったり、一人でピアノを弾いたり、一人で走ったりしているうちに今の自分が出来上がった。仕事はSE、趣味はたまにするジャズライブとそれに伴う練習やなんとなく弾くピアノ、運動は年に一度のマラソンとそれに伴うジョギング。三つの柱だ。

それに、「サーフィン」という4つ目のジャンルを加えてみるために、同期兼駆け出しサーファーのヒロシに付き合ってもらい、御茶ノ水でセミドライスーツを購入。50000円と決して安くない買い物だけど、店員さんにきっちりと22箇所の寸法を計ってもらい、既成フィットの内4箇所を調整して出来るだけ体にフィットするものをオーダー。出来上がりは1月中旬、待ってろよ、極寒の海。

海に行きたいと思うようになったのは、仕事があまりに忙しくて週末の心の切り替えが出来なくなっていたから。海に出ると、それまで頭の中にもやもやとしていた仕事の悩みごとやありとあらゆるストレスが吹き飛ぶ。その状態で、上手く波に乗れた時の快感は、他に代え難いものがある。

ジョギングも頭をすっきりさせるという意味ではいいのだけど、ついつい走りながら仕事の事をあれこれ考えてしまう。考えて走って考えて走って、だんだん考えがまとまってすっきりするのがジョギング。全てをいったん忘れて、心を綺麗にリセットしてくれるのがサーフィン。

来年は4つ目の柱であるサーフィンによって、自分の人生を更に強く高く支えるつもり。そのための初期投資と考えると、5万円も高くはない。

夜は都営新宿線菊川近くのジャズライブハウス「なぁーじゅ」にて、大学の同期でベーシストの吉田豊がライブをやるというので久しぶりに聞きに行った。たまに一緒にするピアニストと、「今日は一緒にするの初めてなんだよ」というドラムとサックスの人と4人で演奏をしていたけど、なかなか刺激的。初めてだからこそ何が起こるかわからない、そんな心地よい緊張感に包まれて、家に戻った。

将来何になろうかな。

2003/12/27


仕事納め

一年が終わった。

カレンダーでは来週の月曜日も仕事だけど、今年中にやるべき仕事はもう終わった。十分がんばったから、もういいのだ。やめた!会社終わり!あばよ!また来年出勤するまで、しばし自由の身、但し仕事のメールは月曜日まで毎日家からチェック。これから何をしよう?いざ暇になると何をしていいのやら。

この一年は実りの多い一年でした。IBMに入社してから今年で4年目。最初の3年間は植物が球根の状態で芽を出そう出そうと頑張っている時で、今年は一気に発芽そして育ち盛り。お客様から得る高い要求やプレッシャー、数々の問題発生と対応する義務、そんな刺激的な「栄養」を得て、ここ1年で随分伸びることが出来ました。

元々は去年の11月9日、平穏だった土曜日の夕方にかかってきた所属長からの電話でとあるお客様での大トラブルにかりだされたのがきっかけで、自分がSEとして誰かの役に立てる喜び、それがたとえ社内であれ社外であれ、とにかく役に立てるんだというのを強く感じられたのが僕が仕事の意義と楽しさに目覚めた瞬間。

その時に対応したお客様は今はIBM+Linuxのリピーターになって下さって、かれこれ14ヶ月のお付き合い。その時に仲良くなった社内の部長とは今でも気軽に話をしていて、Linuxのトラブルが発生するとよく会い、山場を乗り越えるたびにお互いに「よかった・・・」とホッとするんです。そうして関連する部門、お客様は「いざという時には頼りに出来る」と、僕らのLinux部門を高く評価してくれるようになる。

既存のお客様を大切にしつつ、新規のお客様を獲得し、新しいことにチャレンジする。最初は出来そうにもないと半ば絶望していた事が、ある日突然出来てしまって、やれば出来るということを実感したり。

初めてのお客様で社内で大トラブルになって、いつも自分がしている事「クレーム」をお客様からされてしまって、SEとして最低の気分を味わいもうだめか、万事休すか、でもいいや突っ走るだけやってみようとその後がむしゃらに1ヵ月半がんばったら、お客様が仏様のように笑ってくれて、SEとして最高の気分を味わったり。

ほっと一息ついたら今度は船でトラブル発生して、週末は都内の港で船に乗り込んだりと。トラブル、成長、トラブル、成長、トラブル、成長。若いときは苦労は買ってでもしろというけれども、今年はトラブルの分だけ楽しくって成長できた、最高の一年でした。

1年間僕や部門のメンバーを脅して賺して育ててくれた部長は10月いっぱいで別の仕事に移ってしまったけれど、これからは新しい部長の下で自分らしさを存分に発揮するつもり。待ってろよ、トラブル。1年間ありがとう、トラブル。

仕事やプライベートでトラブルに見舞われた世の中の皆さん、お疲れ様でした。振り返ってみると実り多い一年だったでしょう。

来年はどんなトラブルに対峙して、その時どのような判断をするか?振り返ってどれだけ成長を実感できるのかが楽しみでございます。

2003/12/26


ハイナンイブ

突如食べたくなって六本木へ。

六本木ヒルズのオープニングと同時期に麻布十番とヒルズの間に突然オープンしたシンガポール料理屋、海南鶏飯食堂(はいなんじーふぁんしょくどう)。僕らからすれば突然のオープンだけど、オープンさせた二人(しげちゃん、中西さん)からすれば、満を持しての出店だったのでしょう。

こだわりのない料理、なあなあな接客、やる気のない厨房。巷の人気店に多いそんな問題なぞどこ吹く風、ハイナンジーファン食堂はいつ行っても気持ちがいい。ガツンとくる独特な味も、アットホームだけど踏み込み過ぎない接客も、ちょっと覗きこむといつでも活気にあふれている厨房。馴染みの客が来ると凄く嬉しそうにするホールマネジャーの中西さんと、ラストオーダーを終えて厨房を隅から隅までぴかぴかに磨き上げ一仕事を終えた後のすがすがしい顔をしたチキンライス教授ことシゲちゃんは、彼らの店に、味に、仕事に物凄くプライドを持っていて、お互いの仕事に対する拘りがたまにぶつかり合って喧嘩になることもあるという。

なあなあな気持ちで仕事をしていたら、相手がやる気があろうがなかろうがどうでもいいだろう。客に味についてちょっと文句を言われようが、椅子のすわり心地や店内の空気、食べ物や飲み物の種類に注文が来ようが気にしないはず。でも、ハイナンジーファン食堂は違う。オープン後半年だけでもメニューは少しずつ充実し、当初から「美味しい!」と感じられたチキンライスやラクサレマック(磯風味の辛麺)は、更なる工夫を重ねた結果「なんじゃこりゃぁっ」の領域に達している。途中から登場した厚揚げとトウチのバジル炒めには松田優作もびっくりだ。在日シンガポール人すらうならせるその味は恐らく本物だろう。しかも、来年は更にメニューのラインアップを一新するという。一体どこまで進化するのだろう?


初めて食べたときの感想

今年だけで一体何回食べに行ったかわからない。飽きないか?と言われる。飽きない。それは僕らが楽しめば楽しむほどに、彼らも客の更なる期待に応えようと創意工夫を重ね、より良いサービスと美味しい食べ物を同じ値段で提供してくれるからだ。

「あきない」と読んで商いと書く。

仕事は飽きたらおしまいだ。ハイナンで美味しいものを食べるうちに、彼らの姿勢から多くの事を学んだ半年だった。しげちゃん、中西さん、ありがとう。メリークリスマス&よいお年を。

2003/12/24


クリスマスディナー

夕ご飯はイタリアン・クリスマスディナー。

場所はレッドペッパー表参道店。今日のメンバーはIBM同期ヒロシとユカ、そして僕ら二人。

毎年行くんです、レッドペッパー。そもそもは2000年の12月24日のディナーに、僕とヒロシと、裕子と友人マキが4人でクリスマスディナーをそこで食べて、そこですごした時間が楽しかったため2週間後に僕と裕子は付き合いはじめたから。2001年の12月24日に僕らは入籍したのですが、前日の23日はやはりレッド・ペッパーでディナー。その時はIBM同期のヒラケンやトガシ等もいて、みんなに僕らの結婚の証人となってもらい。去年は二人でレッドペッパー。

結婚に至るまでのきっかけであり、入籍記念の場所であり、その後毎年確実に二人の結婚生活が続き人生が順風満帆に進んでいる事を確認するための足跡がレッドペッパーなのです。

表参道駅徒歩0分にある店は非常に小ぢんまりとしていて、椅子は小学校の高学年用のパイプ椅子。人がすれ違えないほどの狭い店内を所狭しとてきぱきと接客する店員と、カウンターの向こうからテーブルの状況を見てとてもいいタイミングで次の料理を作ってくれるシェフ達。

クリスマスというとここぞとばかりに「クリスマスメニュー」といって普段の1.5倍〜3倍の値段をふっかける店が多い中で、ここは物凄く良心的。特に今年は豪華で、前菜からデザート、コーヒー込み5000円で元が取れるのか?というほどまでに質も量もパワーアップしていて、鴨肉のローストやフォアグラを乗せた栗ご飯なんて感動的な美味しさ。デザート4種類の盛り合わせも量はそれほど多くなくとも、既にお腹が一杯な僕らにはちょうど良く、中でも甘酸っぱくて柔らかいりんごが乗ったタルトタタンは絶妙。本当にお勧めのお店です。

今年も無事終わりつつあり、21世紀の永田家も3年目を迎えることが出来ました。後輩先輩友人家族師匠仲間色々な形で支えてくださる皆様、ありがとうございます。

2003/12/23


輪は広がる

夕ご飯は沖縄料理。



竹富島店内写真(HPより)

ブルーノート東京のライブでほんの半年前に出会って以来不思議と音楽繋がりで仲間になってしまったユウコ(≠妻・裕子)と、同じく彼女の音楽仲間であり同期のタロウ氏と後輩のサトコと、銀座6丁目の沖縄料理屋「竹富島」にて夕食。裕子は残念ながら仕事の付き合いで参加できなかったけれども、とりあえず音楽好き四人で本格的な沖縄料理に舌鼓。美味い。沖縄料理の名前を汚さない、本当に美味しい沖縄料理を銀座で食べられることに感激。雰囲気もいいしね。

ユウコ氏とは出会ってから半年の間、たまにハイナンジーファン食堂でシンガポール料理を食べたり、サトコと一緒にライブに来てもらったり、ブルーノートでちょろっと会って話をするぐらいなんだけど、音楽を真剣に仕事にしている彼女は話を聞くととても面白い。音楽と言う共通の言語を基盤に話すからか、付き合いが短くても相互理解が早い。サトコとも家が近いのでちょくちょく4人で飯を食ったりしているが、彼女の持ち前の人懐っこさと明るさで本当に早く仲良くなれてしまった。不思議。

昨日初めて会って今日二度目のタロウ君はベーシストで、やはり一瞬話しただけでもなんだかすぐに仲良くなれてしまった。普通の人は右手を差し出すと「なにこれ?」って顔をするんだけど、彼の場合初対面の挨拶で自分から右手を出してきた勢いで速攻握手。ああ、これってミュージシャンならではの初対面の挨拶なのかなと思った。もちろんミュージシャン以外でも自然と握手をする人はいるけれども、ミュージシャンに圧倒的に多い気がする。

そんな4人で音楽の話、映画の話、色恋(?)の話、等々ずっと話していたら、初対面で慣れなくてギクシャク、話に困って血液型比べに動物占い比べ、しまいにゃ天気の話して出身地の話して結局沈黙して気まずい(「ねぇ、タロウ君って出身地どこ?」「え?東京。君は?」「えとね、横浜。」「ふーんそうなんだー」「・・・」)・・・なんていう雰囲気もなく、8時半から3時間があっという間にすぎ、早くも家に帰る時間。もっと話していたかったなあ。裕子も居ればなあ。まあでも、また近々3人とは会うでしょう。

日本国内で億という単位の人間がいて、東京だけでも千万単位、一日にすれ違う人間の数は数千。その中から仲良くなる人、目線すら合わせない人、付き合う人、結婚する人、遊ぶ相手、音楽仲間、けんか相手、相談相手、そうして輪が広がっていく。英語がしゃべれれば対象は一気に広がる。

広がるか広がらないか、というよりは、自分が広げるか広げないか。きっかけなんてどうでもいい。ナンパ、合コン、友達の結婚式、友達の友達、友達の妹、仕事のお客様、の友達、なんでもいいから、自分の世界に新たに出来たきっかけを、更に新しいきっかけにつなげるかつなげないか、そうして自分が接する人たちが増えていく、いや、増やしていく。多けりゃいいってもんじゃないけど、色々な人達を知ることは悪くない。

最近、人と出会うことに臆病になっていないか?と自問自答。否。全然オッケー。

2003/12/22


輪を広げる

夜ご飯はタイ料理。

筑波大学の同級生で高校までタイに住んでいたマユの家に招待され、同じく大学同期のダイゴ、シゲ、クリも集った。僕と裕子に加え、更にIBM同期のヒロシも参加。集った全員が自分にとってかけがえのない親友であり、今後の人生の節目で会いたいメンバーであり、たとえ5年ぶりに会おうとも1週間ぶりにあったかのように自然に振舞える仲間たちだ。現に、シゲはダイゴと卒業以来4年間会っていなかったが、再開した瞬間に4年のブランクは吹き飛んで、一気に気分は大学時代。当たり前のようだけど、なかなかそういう関係の友人は少ないものだ。

今日のテーマは、大学時代の友人と会社に入ってからの友人が一緒になったときに、交流を深められるか、ということ。大学時代の仲間が集まるとどうしても昔話に花が咲きがちで、会社仲間は中々話に入れない、入れてもらえない、という場合が多い。今回はそれをちょっと懸念しつつも、でも大丈夫だろうと思い積極的にヒロシを誘った。ヒロシは場の雰囲気を読むのに長けていて、どんな場でも自己主張をしすぎることなく絶妙なさじ加減で入れるから。また、筑波大学の仲間は相手が初対面でもすぐに受け入れる気質を持っていると思い。

マユが腕を振るった激ウマなタイ料理に舌鼓を打ち、昔話、今の話、最近ヒロシがホノルルでマラソンを走った話、ホノルルでヒロシが撮ってきた高さ4メートルの波で現地のサーファーが波乗りをしているビデオ上映、等々しているうちに、いつしか大学も会社も関係なく一体感が生まれた(・・・と、思いたい、多分)。今日のメンバーが次に会ったら、きっと全員が更に自然に気を使わずに楽しめると思う。気の置けない仲間として。

周りを見ていると、「今日は大学の友人と食事だから」「明日は会社の友人と食事だから」と、完全に付き合いを分けている風潮が多く、凄く勿体無い気がする。大学時代の友人の輪と、社会人になってからの友人の輪、その双方が繋がる事によってより輪の大きさも質も高まると思うから。って、そうはいっても難しいんだけどね。

みんなで広げよう友達の輪、なんて今時誰も言わないけれど。自分達にとって異質なものを排除するよりも、異質な者同士で相手を積極的に理解して仲間が増えることを楽しめば、世の中もっと平和になるのにと思う。なんて大げさな集まりでもないんだけどね。

2003/12/20


かわいい

テレビ東京で23時から放映しているWBS(ワールドビジネスサテライト)がお気に入り。

仕事から帰っても見られる時間帯もいいし、誰が結婚したとかたまちゃんとか国賊逮捕とかどうでもいいニュースよりも、日本と世界のビジネスを感じられる意味あるニュースをやっているのが素敵。

今日、そんなWBSのアンカーウーマン小谷真生子さんが、商品特集の最後の締めのコメントで「なかなか、楽しくなりますですね」と言ってしまい、周りのコメンテーターも笑いをかみ殺しながら「くっっ・・・はははい、そうですねっ」と辛うじて合わせていた。言ってしまった小谷さんも「そ・・・それでは・・・アメリカのこ・・・小売についてです」と、笑いを堪えながら辛うじて繋げていた。普通だったら爆笑しちゃうな。

製造業のニュースとしては中国が自動車生産でフランスに次いで世界4位に浮上したそうだ。北京五輪も開催されるし、携帯ビジネスは大爆発しているし、有人ロケットも打ち上げちゃうしで中国から目が離せません。

少なくとも、昔と違って日本にだけ目を向けてるだけではいいビジネスは出来ない世の中です。ビバ国際化。

2003/12/19


リーマンでなくプロでいたい

サラリーマンが会社から仕事をもらっている人間だとすれば、プロフェッショナルは会社に仕事を持ってくる人間と言える。僕はプロでありたい。

今日、やっと一つ大きな仕事が片付いたのです。ここ数ヶ月ずっと手がけてきていた仕事の結果が、某お客様にて今日動き出したのです。仕事の内容は認証LANシステム構築と言って、要はお客様のコンピュータ・ネットワーク環境を整備したのだけれども、初めての事だらけで最初はあたふたおろおろ。わからないところは勉強して、人に聞いて、実験して、なんとかものにしていく。最終的には社内論文(MSワードドキュメント 600kb)をまとめられるぐらいやりこんで、もし論文が選考に入選すれば5万円ゲット。

今でこそ普通に動くようになったけど、最初はてんで思うように動かない。チームで仕事しているんだけど、Linuxにかかわる部分は自分だけでやっているから、自分ががんばらないといつまでたっても完成しないし全然間に合わない。お客様は待っちゃくれないし、締め切りは決まっているし、もうここ数週間は帰りが24時、27時、30時、31時と無茶苦茶。体壊さないのが不思議だけど、そこはマラソンで体力をつけていたからなのかもしれない。

何千万円、何億円というプロジェクトがごろごろあるIBMの案件の中で、自分が今回やった部分は額としては非常に少ないものなんだけど、それでもお客様は僕をこのプロジェクトで使うために何百万円、去年から合計で数千万円も払ってくれている。だから、当初はやる予定でなかった仕事が後から出てきて、「永田さん、これもできますか?」と言われたときに、「最初の(○百万の)契約に入っていないのでやりません」とは言わずに、「契約外ですので保証はできませんけど、やってみます」と言って、やってみる。

今回はその契約外内容の多くがプログラム作成だったのだけど、僕はプログラマーではないし普段プログラムを殆どすることがないから暫くは途方にくれていたのだけど、意外とやってみると凄く面白い。ちょっとした電子創作物が出来て、たとえ契約外だからIBMが一切法的に品質保証をしないものだとしても、きちんとお客様が快適に使えるようなものに仕上げようと未だに手直しをしてみたり。

「いらっしゃいませー」「よろこんでー」としらけきった声でお座なりな接客をする店員が氾濫するこの世の中、お金をもらって仕事をしている以上、仕事の内容にプライドを持つのって、凄く大切だと感じる。

そうやってプライドを持てる仕事、すなわち「いい仕事」をしていると、お客様も「IBM」という看板だけでなく「IBMでLinuxをやっている、永田ジョージ」という一人のSEとして僕を見てくれていつしか、普段の会議の後にこそっと立ち話で「ねえ、こんなことできる?もしできそうだったらいくらぐらいで出来るか見積もって、今度持ってきてね」と向こうから話を持ってきてくれたりして、通常は営業が仕事を取ってきてくれるまで社内プータローな僕らSEとしては凄く嬉しいんです。ああ、認めてもらってるんだな、仕事やってよかったなと実感できて。

それがプロフェッショナリズムの原点だとしたら、僕は生涯サラリーマンではなく、生涯プロフェッショナルでいたい。なんちて。

よし、これは今日の日記のネタ決定。

2003/12/17


人生を通じてのマラソン、マラソンを通じての人生

毎年、つくばマラソンを走った後は、最後の課題として筑波大学の鍋倉先生にマラソンの完走を書いて送ることになっているんです。完走した人も、完走しなかった人も感想文を書いて、提出。すると、マラソンを走ることに込められた数十人分の熱い思いが込められた文集ができるんです、毎年。たとえばこんな感じで。

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7度目になる今年のマラソンは、準備不足を痛感した。

マラソンと言えば苦痛、苦痛と言えばマラソン。フルマラソンの距離を走ることはかなり辛いのが普通なのだけど、苦痛も色々あって。長くゆるい肉体的苦痛もあれば、故障からくる激しい苦痛、そして精神的に物凄く凹まされる絶望感とか。そんな中で、今回は絶望感を今までになく味わった。原因はスタミナ不足、寝不足、そして練習不足という、三つの不足。

まず、寝不足。前日の深夜までの仕事で睡眠時間は1時間ちょっと。以前ハーフマラソンを走ったときは、やはり仕事で徹夜明けで走ったのだけどなぜかすこぶる好調で鼻歌気分で走れたから今回もたかをくくっていた。まあ大丈夫だろうと。そうしたら20キロで一気に「壁」に当たり、それから22キロの間「もう無理だ、ほんと無理だ」という気持ちで走っていた。ボブサップの檻に入れられて「さあ戦え」と言われたらこんな気分だろうか。

次にスタミナ不足。最後の1週間ギリギリまで減量をしていたのと、前日友人の披露宴に参加したのでどうやら体内に炭水化物が不足していたらしい。半分ぐらいからとにかく足が動かない、踏ん張りがきかない、力が出ない、気力も出ない。自分の足が「もう走りたくねーよ」と愚痴るのを抑えてなんとかゴールしたものの、ラスト200メートルのダッシュすら出来ない。そういえば1週間前にQちゃんも減食でスタミナ切れとか言ってたのに、学習しない俺。

最後に練習不足。今年は3時間30分を目指していたのだけど、毎年のように夏の走りこみがちょっと足りずそのまま秋に突入し、20キロを超える練習は二桁に満たなかったと思う。ハーフマラソン1回(1時間40分30秒)と、本番1週間前に無茶してトレーニングした34キロの練習が足に疲労を残していたみたいで、本番は5キロ走ったら足に違和感を感じた。え?5キロでもう痛いの?不安に思い医者からもらった痛み止めを服用するものの、粉末なので半分ぐらいこぼしてしまいブルーに。頼むよ、お医者さん。

そんな3重の不足状態で3時間30分切りペースで走ろうとしたのだから、20キロでばてて当然。あとはひたすら苦痛、絶望、諦め、放棄、落伍、そんな気分と戦った後半2時間。距離は大して増えないのにいたずらに時間が過ぎる中で「鍋倉先生ですらリタイアする時があるんだから、俺も辞めようかな」と何度も思いながら、そこで辞めたら半年以上の練習の成果を放棄するような気がして辞められなかった。辞める勇気すらなかった。

結局、ゴールしたのは3時間50分と7秒。普段なら余裕でスパートをして最後の7秒をマイナスして50分切り、とかできるものの、今回はそれすら出来ない。終わったあとも嬉しくないし、自分で自分を褒めたいと心から思わなかった。かといって泣く事も出来ず、本当に中途半端な気持ちを味わった。7年前の初めてのフルマラソン以来最大の苦しさだけを味わって、2003年のつくばマラソンは終わった。

とはいえ、これで終わりではない。マラソンに出会って僕の人生は変わったが、マラソンを通じて僕は毎年何かを学ぶ。食事の大切さ。睡眠の効果。もちろんトレーニングも重要だ。それを一言で言うと「準備」であり、今回はとにかく今までで一番準備不足だった。人生の多くの事は準備段階で決まると言うけれども、今年は準備の重要さを後半の2時間、嫌というほど味わった。

もうひとつの成果があるとすれば、妻・裕子が走るようになったことだ。僕が毎年マラソン走るのを「何をそんなものを・・・物好きだね」と冷ややかに見ていた彼女が、今年になってジョギングを始めた。春ごろは3キロ走るのもやっとだったのに、いつしか走ることで仕事のストレスと体力低下、そして体型までもが改善されることを経験的に学び、いつしか彼女も走ることが好きになっていた。

秋ごろには10キロは余裕、15キロもそこそこ、そろそろ20キロも走れるようになり、ついにハーフマラソン出場までしたのだが3日前の19キロ練習で足を軽く故障してしまい、本番それを引きずって16キロ走り足首を激しく炎症させ、全治1ヶ月に。彼女もジョギングの楽しさ、マラソンの難しさと準備の大切さを学んだようである。きっと来年は、鼻歌交じりにハーフマラソンを1時間50分台で完走できるぐらいのランナーになると思う。

僕も次回こそは気持ちよくゴールをしたい。気持ちよく走るために、自分の生活をよりマラソン寄りにすることで、体調、食事そして時間のマネジメントを改善しようと思う。

マラソンが僕の人生を変えたように、人生で僕のマラソンを変えたい。

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とかね。

2003/12/16


リハ

久しぶりに、ピアノをがっつりと。

1月17日にライブをすることになったので、ベースのモリタとカメサンスタジオにてリハーサル。スタジオといってもうちの亀の額ぐらいのリビングなんだけどね、一応グランドピアノのハンマーアクションを持ったエレキピアノ完備、防音はまあまあ完備、ドリンクもスナックも自由。

昼頃にやってきたモリタと江城で昼飯を食いながら、次回やる曲を相談。二人でCDを聴きながらやりたい曲を選んで、休憩を入れながらベースとピアノで合わせること4時間。久しぶりに音楽を聞くだけでなく弾くことで、ちょっとしたストレス発散に。

と同時に、久しぶりに沢山弾くと指はすぐ疲れるし早いフレーズは弾けないしで、練習不足を実感。もったいないなあ、せっかく夏はあれほどハノンで指を鍛えたのに、またゼロに逆戻り。

人間、結局必要に駆られないと何もしないので、マラソン大会がなければジョギングもしないし、ライブがなければハノンもやらない。ということで、目標がひとつ終わったらすぐに次の目標を立てて継続的に努力をすることが大切なんですね。じゃあしろって、俺。

2003/12/14


すぃんばすぃ

銀座線にて。

車掌がアナウンスで「次は〜、すぃんばすぃ〜、すぃんばすぃ〜で、ございます」と。すぃんばすぃ・・・。アナウンスを聞いて思わず噴き出しそうになったのに、周りを見るとみんな超平然としてる。誰も聞いてないの?都会の無関心ってやつか?すぃんばすぃだぞ、すぃんばすぃ。かなりふざけているか、物凄いずーずー弁かどちらかだ。ずーずー弁ってどこの方言?

でも、同じ車掌、駅に着いたら「え〜しんばし〜、しんばしでございます」と。なんだ、ちゃんと言えるじゃん。やっぱふざけてたのか・・・。そりゃそうだよね、スィンバスィは言わないよね。

そういえば以前総武線に乗ったときは、「え〜つぎは〜、トゥダヌマ〜、トゥダヌマ〜で、ございま〜す」と言っていた。おい、「つ」を「トゥ」というなら、「つぎは〜」は「トゥギは〜」じゃないのかよと突っ込みたくなったが、やはり誰も気に留めてなかった。都会の無関心ってやつか?とぅだぬま。

今日の我慢できない「敬?語」:
  「それではプレゼンテーションを始めさせていただきます。自己紹介をさせていただきます。現在私は日本IBMにてSEをやらさせていただいております。今回提案させていただきます内容は、依頼を受けさせていただいた弊社がみつもらさせていただいた内容に基づきお話させていただきます

・・・「敬語知らなすぎ」とつっこまさせていただきます

2003/12/10


あっという間

に、四日間が経過。

日記なんてのは毎日つけるから意味があるのであって、毎日つけない日記だったらない方がマシ。なのかもしれないけれども、PCで仕事に没頭しすぎていると一日の最後の最後、寝る直前になって日記を書こう!という気がなかなか起きないんですね。

じゃあ、日記は午前中につけて、朝起きたら書くとする。「今日はいい天気だ。これから仕事に行って、客先でプレゼンテーションをして、スタバで反省を込めてお茶を飲んで、ヒルズを10分ほどぶらついてから箱崎に戻って7時には仕事を切り上げて家に8時には戻って10時に寝る」

うーん、ありえない。

2003/12/9


仕事ぐったり

水曜日、木曜日と4AMまで仕事。

さすがにアミノサプリを飲もうが栄養ドリンク飲もうが、仕事をしすぎると体がもたない。体がもたないと精神がもたないから、たまには休まなきゃならん、ということで金曜は昼2時過ぎまで寝たら幾分かすっきり。

師走というが僕には師匠なぞいないので自分が走り続けるしかない。部門に人が少ないため今の自分の仕事を任せられる人はいなくて、もし自分がぶっ倒れたら誰が今抱えている5つの仕事を継続できるのだろう、いやできるはずがない。そう考えるとおちおち倒れることも出来ない。

おとといはインフルエンザの予防接種も会社で受けたから、今年はもう感染を恐れる必要はない・・・はずなのだけど、むしろ体調が下がっているときにインフルエンザワクチンを入れると体が余計だるくなって逆効果かと心配。

体は資本。本当にそれを実感する12月であります。

2003/12/5


失敗を乗り越えて

マラソンは走ってみないとわからない。



レース前、師匠鍋倉さんと

11月30日に走った「つくばマラソン」は、既に7回目のフルマラソン。ベテランには程遠いけど、マラソンランナーとしては既に中堅であり経験もそこそこ積んでいるのに、目標タイム3時間30分から大きく遅れてゴールした時間は3時間50分7秒。コンディションは最悪、今までで一番苦しいレースでありました。

通常、一番苦しいマラソンは初めてのマラソンなんです。走ったことのない距離、味わったことのない苦痛、経験したことのない長時間の苦しみ。30キロ〜35キロを越えると、そんな三重苦が初めてのランナーを絶望のどん底に突き落とし激しく苦しめます。二度目以降のマラソンは、一度経験したことだから精神的に多少楽になるもんです。

ちなみに去年のマラソンを走った後は「最高の達成感、至福の満足感。」なんて感想を書いちゃってて、5キロあたりのタイムも5〜35キロ地点までほぼ25分台で走れている。ゴールタイムは3時間44分で、最後にスパートをする余力もあったんです。

去年よりトレーニングをしたのに今年はボロボロ。5キロごとのタイムなんて酷いもんです。

  • 0〜5キロ   :25分12秒
  • 5〜10キロ   :24分45秒
  • 10〜15キロ  :25分09秒
  • 15〜20キロ  :25分25秒
  • 20〜25キロ  :27分35秒
  • 25〜30キロ  :27分10秒
  • 30〜35キロ  :31分18秒
  • 35〜40キロ  :31分02秒
  • 40〜42.195キロ:12分20秒

どんどんスピードが落ちていくのがグラフ化できるほどにわかりやすい。3時間半ペースでいけると思ったのは最初の20キロまで。その後は足がどんどん重くなって、一歩一歩が苦痛に感じられて、最後の15キロはとにかく歩かないようにどんなにゆっくりでも走り続けるので精一杯。ランナーとして最低の走りを経験したのでした。

いっそリタイアしよう、リタイア救護バスに乗ろうか、沿道のラーメン屋に入ってラーメン食って歩いて帰ろうか、道端にねっころがって1時間休んでから近道をして帰ろうか、ボランティアが配っているお汁粉をコップ10杯ぐらい飲んでおなか一杯で寝ようか、「無念のリタイアしました」と日記に書くことになるのか。そんなことをおおよそ2時間もの間考え続けて、自分の弱りきった体と心と戦いながらゴールを目指しました。

よく「ランナーズハイ」などといって、長時間走っているとだんだん気持ちよくなって苦痛を感じなくなるという言葉を聞くけれども、今回のマラソンはそれとは程遠い。ランナーズロー、ランナーズ最悪、ランナーズ死にたい、ランナーズやめたい、ランナーズバカみたい、そんな言葉しか考えられない。なんでやめないのか自分でも不思議だった。けれども、足がまだ少しでも動く状態でリタイアをしたら、今後も何かの拍子にマラソン以外のところで精神的に辛くなった時にそのタスクをリタイアしてしまいそうな自分が見えたから。

最後5キロは永遠に感じられる長さで、周りの同じくボロボロになって走っている人達と励ましあい、沿道からの「頑張ってー」「あと少しですよー」という暖かい応援に「ありがとうございます・・・!」と心からお礼を言いながら、なんとかゴール。最後の400メートルで頑張れば3時間50分をぎりぎり切れたかもしれないけれども、それすら出来ないほどにエネルギーが消耗していました。終わった後も「最高の感激」などというものはなく、ただ苦痛に耐えた後の涙ととりあえず完走できたうれしさの涙が互いにけん制して結局泣くことすら出来ない。変な気分でした。



レース後、二人ともやつれ気味

写真は鍋倉先生。筑波大学で陸上の長距離コーチをやりつつ、体育会系でない学生向けの自由体育講義「つくばマラソン」を主催している、僕や多くの学生の人生を変えてくれた本人。今年も50人近い彼の教え子がフルマラソンを走り、多くの学生は始めてのフルマラソンに怯えつつも鍋倉さんのアドバイスを受けて見事に完走していました。

ちなみに鍋倉さんもフルを走ったのですが、「今日は雨も降っていてコンディションが悪いからゆっくり4時間目標で走るよ」と言っていたのに、ゴール時間は3時間10分台。「いやぁ、途中で欲が出ちゃってさ」とか言ってる。ほんと、かないません。本気で走れば軽く3時間を切れる彼は、今の僕から見ると驚異的なんだけど、そんな彼も最初は3時間30分を切るのに苦労をしたんだろうなあ。

今回の反省点。ボロボロだった理由は三つ。一つは練習不足を最後で補おうとして無理に30キロ以上走った疲労が残っていたこと。もう一つはラスト1週間ギリギリまで減量をして、充分に炭水化物を摂取していなかったこと。そして木金土と夜の睡眠がまともに取れず、しかも前日は1時間睡眠だったこと。この三つが重なって、最悪のコンディションを作ったようでした。

終わった後に、筑波の同級生で現在も院生として筑波で勉強をしており今年初めまで北京に留学していて去年僕も会いに行ったヨッチャンに電話をし、久しぶりにちょこっと会いたいと言ったら「ついでに風呂も入っていきなよ」と、粋なはからい。マラソンを走った後の暖かい風呂が、どんなに衰弱しきった体を癒してくれたことか・・・。ヨッチャンありがとう。

今年のマラソンは終わった。全然満足できない結果だったし、去年よりもタイムは遅いし、心身ともにエネルギーを使い果たした。でも、これで終わりじゃない。この経験を生かして、次のマラソンはもっと満足のいく走りをしたい。次こそは3時間30分を切れるように。



ゴールの前で一人

本日の走行時間: 3時間50分7秒
本日の走行距離: 42.195キロ
本日の体重: 63キロ

2003/12/2


いよいよ年の瀬

あと少しで2004年。

卒業してから4年。

婚約してから3年。

入籍してから2年。

現在の部門で1年。

来年はどんな年にするか?

まずは今年を満足に終えようじゃないか。

2003/12/1


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