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西海岸か、東海岸か。

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高校時代、ペンシルバニア州に住んでいました。東海岸は、人種のMixがそれほど盛んではなく、どちらかというと白人至上主義な風潮がありました。明示的に差別されたことはなかった気がしますが、どことなく俺ってエイリアンだな、と感じたことはしばしば、っていうか常に。

もう一度アメリカに住むとなると、できることなら異邦人としての自分、アメリカ合衆国の異物としての自分を意識せずに生活できるところに行きたい。そういう意味では、西海岸の雰囲気、特にメキシコの国境まで目と鼻の南カリフォルニアのムードは、心地よかったです。大学キャンパス内の人の集まりを見ても、白人も、メキシカンも、中国人も日本人も、比較的よく混ざっている。お互いの違いを認識しつつ、認めあっているように見えました。

夏からはカリフォルニアに行くことにしました。LAかSan Diegoかはまだ100%決めてませんが。

9月以降、「カリフォルニアに行きたいが宿が無い、足が無い」という方は私まで。無料ツアーにご案内します。


おまけ。

冒頭の写真は、帰国当日、成田からのバスで見えた日本の空。雲ひとつ無いカリフォルニアの空も気持ちよかったけど、表情豊かな雲の隙間から伸びる光線は神がかっていました。

錦糸町駅に着いたところで、むしょうにアジアンフードが食べたくなりました。スパイスを欲していたのでしょうか。最近オープンした、タイ食堂「ティーヌン」にてがつ食い。

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一皿あたりのボリュームが少なくてほっとしました。
やっぱ日本はいいよね。

 幸せな食卓: 錦糸町 ティーヌン☆ by angeさん



サンディエゴともしばしお別れ。

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朝もやがかかったサンディエゴのベイエリアを見ながらエレベータを降り(左上)、タクシーで空港へ。15分程で到着し、セキュリティもなんなく通過。LAのものものしいセキュリティはなんだったのでしょうか。

しかーし。ゲートに着くと、自分が乗る飛行機が掲示板に表示されていない。

「あれ?僕の飛行機はどうなったの?」と聞くと、「移動やらシステム調整やらでこっちもよく判らないの。次の飛行機に乗る?」と言われたので、事情が判らないままに一本早い飛行機(右上)に搭乗。飛行機の製造会社は、一般的にはカー・メーカーとして知られているSAAB。プロペラジェットのため音はうるさめ。ブルルルゴーーーブルルゴーーー

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LA到着後、成田行きの大韓航空にチェックイン。そういえばカリフォルニアらしいものあまり食べてなかったと思い、ビュッフェエリアに足を運ぶと「SUSHI BOY」(左下)・・・って、小僧ずし?お約束のカリフォルニアロール(右下)を食すも、目当てのアボガドが少なくてがっかり。きゅうりの方が大きいぞ!でも、なかなか美味い。アメリカで寿司(もどき)がはやるのも納得。

時間も車も無いステイでお土産を一つも買えなかったので、DFSでちょこっとばかしチョコを購入。飛行機に乗り、BoA似のスチュワーデス軍団と前方の飛行機がつくった一筋の雲の上にぽっかり浮く月を見ながら眠りにつきました。

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帰国。



サンディエゴ・ナイトライフ。

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ジャズライブハウスCroce'sまでは歩きで。1870年~1930年頃の街並みをレノベートした、繁華街エリア"Gaslamp Quarter"訳してガス灯地域までは10分ほどの道のり、多少ホームレスや危なそうな人も居るけど、ニューヨークのダウンタウンと比べるとかなり安全な雰囲気でした。よほど無防備でない限り襲われることはなさそう。

かっちょええ生演奏の音が外まで聞こえてくるライブハウスのドアにて"写真つきIDは?"と。しまった・・・ホテルにパスポート置いてきちゃったよ。レストランとは違い、飲酒前提なクラブは写真つき身分証明書が必要。クレジットカードを持っていようがひげを生やしていようが、ダメなものはダメとのことで、がっくし。とぼとぼホテルまで戻ろうとするとどこかの民俗音楽が聞こえてきました。

ふと見ると、そこはペルシャ料理屋、金曜日はベリーダンサーがショーをやっているとのこと。「食べていく?」と聞かれるも、男一人で見るのはなんかイヤらしい感じがして一瞬気が引けました。とはいえ、部屋でご飯を食べる気にもなれないし、収穫なしで帰るのもなんなのでテラス席に座り、レンズ豆のスープとチキン・シーザーサラダを注文。これならそんなに量も多くないだろうと。

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にぎやかな音楽と激しい踊り。上の写真は白人客が無理やり帽子をかぶせられて、椅子に座らされて「じっくり見ろよ!」とばかりにその周りを二名のダンサーが腰フリフリ。日本のベリーダンサーは大体腹が六つに割れているぐらい絞れていますが、そこのダンサーはマワシが似合いそうな立派な胴回りでした。

お店の名前はSadaf - "サダフ"。サダセインの略か?(ちがいます)Tel:619-338-0008、サンディエゴ・ダウンタウンのガスランプクオータ、828 Fifth Avenueです。メモメモ。

因みにスープは軽く3人前、サラダは5人前でした。これ一人で食えってのか。たっぷりのロメインレタスと細切りチーズの上には、子供のこぶし大はあろうかという鶏肉が10個ぐらい。ざっと500gは乗っていたのでは。こんなん毎日食べてる人達と戦ってもかなう筈がないと、サダムフセインの軍隊に哀れみを感じました。

ホテルに戻り、エレベーターから港の景色を一望(冒頭写真)。いよいよ帰国かー。



午後は更にキャンパスを視察しました。

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MBAセッションが行われる建物(上)、いい雰囲気です。休み時間になると学生がわらわらと集まって話をしたりコーラを飲んだり。広いキャンパス内の移動手段として、バス、歩き、自転車以外では、スケボーを使っている学生がひときわ目立っていました。ガーーーー キキッ パンッ トコトコトコ(滑走→停止→跳ね上げ→徒歩) Theカリフォルニアって感じです。

フルタイムのMBA授業が行われる建物"Otterson Hall"の写真も撮ってきました(左上)。模型です。まだ建設中だか、これから始めるだかという状況。なんでも、施工業者がぼったくり&仕事が遅いので、別の業者に委託するために計画を遅らせたそうです。それまでは、共用のPepper Canyon Hallで授業を受けることになります。

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学内を散歩していたら、なんかのお祭りをしていました。DJがいたり出店があったり、ステージでカポエラを踊っていたり(右上)、噴水に水着で入って踊ってたり。さすがアメリカの大学、やることが派手です。

4時頃、UCSDの大学院でコンピュータ・サイエンスを学んでいる、弊社のエンジニア先輩と会いました。サンディエゴでの暮らし、生活費、住宅、車、英語の学習、雰囲気等についてヒアリング完了。いつでも住めるぞ!ってぐらい色々聞けました。

再度MBAオフィスに挨拶をして、宿泊先のホテルがあるサンディエゴのダウンタウンにバスで向かいました。街中には路面電車が走っており(左下)、ちょっとレトロな感じ。意外とスピードも速かったです。7時頃には、Wyndham Emerald Plazaホテルに到着。夏時間のおかげでまだこんなに明るいです(右下)。

ホテルのフロントにて、市内のジャズライブハウスの場所を聞き、表に出ました。

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外から見るとこんな感じです。エメラルドっていうほど綺麗じゃないけど、ちょっとかっこいいんです。

詳しくは、また。



悪いことがあった次の日は、いいことがおきる。

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サンディエゴ1日目は色々ありましたが、今日も元気です。アメリカ視察のメインイベント、UCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)への訪問を実施。ホテルを7時半に出て、歩いて8分のMBA校舎へ。気候のおかげかはわかりませんが、行く先々で綺麗な花が咲いています。パンジーやらハイビスカスやら、至るところで咲きまくり。上の写真はなんだろう、スミレでしょうか?校舎への道端にて激写。

MBAの授業が行われている校舎、Pepper Canyon Hall(左上)に到着。UCSDのフルタイムMBAコースは今年の秋から開設されます。現在行われているのは、"FlexMBA"という、社会人向けのパートタイムMBAコース。60人ほどのクラスは主に地域のハイテク企業からの生徒で構成されています。受付にて、今までメールや電話をやりとしていたモニカと対面(右上)。電話やメールのやり取りから想像していたよりも若くてびっくり。UC Irvine校を卒業し、去年の夏からフルタイムで働いているそうです。

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その後、8時から11時まで"Operations, Information Systems and Analysis"の授業を見学(左下)。おおまかに訳すと経営・情報システム・分析ですが、今日の講義の内容はSCM(Supply Chain Management - 物流マネジメント)で、前半は理論や考え方についての講義、後半はケーススタディでした。内容はトヨタのカンバン方式について。クラスの雰囲気はアクティブで、生徒は聴いているだけでなく積極的な発言をしていました。英語なのに"Muda" "An-don" "Heijunka"などの日本語がそのままローマ字読みされていたのが面白かった。

午後は採用責任者のMargie(右下)、カリキュラム責任者のJoAnne、MBA学長の Mr. Sullivanと面会し、今まで聞けなかったことを遠慮なく質問。現状で自分は90%サンディエゴに決めているが、未だにUCLAやUC Berkeleyから結果が来ていないので残りの10%は未定だということを正直に話しました。

Margieは4月に電話面接を通じて僕を採用した本人。面接の時は遠慮して言えなかった事、聞けなかった事も含め100%の話ができてよかった。JoAnneには授業内容が自分の希望に沿ったものになるか、ビジネスマンとしての自分を強化できるクラスや講師が揃うことを確認。Sullivan学長とは、「今年から開設」という新しい学校を運営することに対し、彼がどれだけの実績と熱意を持っているかを確認。

給料をもらって働く企業に入社するのと違い、高いお金を払って勉強する学校に入るということは、見合ったリターンを得られるかを確認する必要があります。今日話した感じでは、UCSDのMBAスクールでは確実にそのリターンを得られそうです。

実りの多いミーティングセッションでした。

続きます。



今日は(ちょっと)ついていない日。

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LAからサンディエゴへの出発時刻は10時。予定通り9時に空港に着いたものの、異常に厳しいセキュリティチェックでかなりの足止めを食らいました。所持品は全て開封チェック、北斎茶房のギフトボックスまで中を見せろという。PCや電子機器は、特殊な布でひと拭きしてから、イオンディテクターなる機械でプラスチック爆弾の粒子を検知していました。更に、一人あたり3分ほどかけて、全身をくまなく金属探知機と触診で確認します。

日本を出てきたときの国際線よりもはるかに厳しいチェック、当然のことながら物凄い行列ができ、終わったころには搭乗まであと15分。やばいやばい。ゲートに向かうと、搭乗ゲートはシャトルバスに乗るため別の通路へと迂回。そのまま通路に沿っていくと、なんだかExitとかBaggage Claimという文字が目立つものの急いでいるので直進。あれ、ここどこだ?と気付くと、そこはArrivals。外です。

ヤバ・・・途中で通路間違えた、と思い、急いで出発ゲートまで行くも、再度セキュリティチェック。えー・・・ 「もうさっきチェックしたでしょ」「でもチェックしなきゃダメなのよ」「いや、シャトルバスの方に向かったら、なぜかBaggage Claimに出ちゃってさ」「なんでBaggage Claimに行ったの?」「いや、それは今の問題じゃなくって・・・とにかく飛行機があと10分で出発しちゃうから」 という押し問答の末、結局全てのセキュリティチェックをやることに。

さっきと同じミスはしないぞとシャトルバス搭乗口の迂回通路に行き、今度は「バス」標記を発見し、搭乗口に。「10時のフライトなんだけど!」「ぼーや、もうダメね、次のにチェックインしてあげましょう」ということで、11時のフライトに搭乗。とりあえずホテルに着いたものの、1時間を無駄にしました。

その後、大学周りやアパートを確認しつつ、La Jolla Shore(ラホーヤショア)というビーチエリアに遊びに行き、サーフボード&ウェットスーツをレンタル。一時間で1000円ぐらい。安い。貴重品は店に預けつつ、ビニール袋にカメラとTシャツを入れて浜辺まで。砂の中に袋を隠し、波乗り開始。

30分後、いきなり足が吊る。激痛をこらえながらなんとか砂浜に戻り、ストレッチ。10分後、再度足吊り。昨日のジョギングがたたったようで、まともに板に立てません。結局1時間半ぐらいで上がり、ビニール袋まで戻ったら・・・開封されてました。セキュリティチェックかよ。しかも、丁寧にビーチサンダルとTシャツはそこに放置して、カメラかっぱらわれました。バカです、私。バカバカバカ。

アメリカの良心とか、こんなお天道様の下で犯罪働く奴もいないだろう、つーかいちいち砂に隠したビニール袋引っ張り出して散策しないだろうと油断していました。バカだね。とぼとぼホテルに戻りました。ちょっと気落ちしつつ、「損して得とれだ!」ということでカシオのデジカメを隣のモールで購入。型落ちだからか5メガピクセルなのに結構安かったです。5メガなんて誰が使うんだろう、と思いつつ。

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日は落ちかけ、庭のプールもがらがら(左上)、部屋(右上)もなんだかほの暗い。アメリカのホテルは本当に照明が暗いです。日本が明るすぎるのかな。ホテルのバーでなんとなくデザートを食べたくなってクレームブリュレを頼んだら(左下)、やっぱり日本の4倍ぐらいの量。上のパリパリの部分の厚さが日本のブリュレの厚さ、って感じでした。

もう一個、損して得とらなきゃということで破格の9000円程度で買ったRip Curlのウェットスーツを風呂場に飾って(右下)、これでいいんだ、今日はついてるんだよ、ホラ、デジカメもウェットも買えたしね、と一人納得。

ついてないよ。



韓国タウンもでかいアメリカ。

LA

ダウンタウンのハイアット、薄暗い部屋で仕事をした後、ジムで久々に30分ジョグ。体を疲れさせれば夜もぐっすり眠れて、時差ぼけ防止になるはず。UCLAで映画ビジネスの勉強をしているケイジが授業が終わった10PM過ぎ、再び彼にひろってもらってコリアンタウンの大衆的な韓国食堂へ。

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座るといきなりキムチやナムルやらがどばどばっとテーブルに出される(左上)。プルコギ(右上)と石焼ビビンパ(左下)を頼んだものの、これがまた馬鹿にでかい。肉の盛り方が日本の3倍ぐらいだし、ビビンパも茶碗3杯ほどのご飯とあふれんばかりの具。とりあえずまぜまぜします(冒頭)。

はたらけど働けどなお我がくらし 楽にならざり ぢっと手をみる (啄木)

 ならぬ、

数食えど食えどなお 我がお皿 空にならざリ ぢっと肉みる (丈豚)

って感じでした。
明日は早起きしてサンディエゴ行きなのに、食いすぎでねむれな・・・スヤ・・・



やっぱりでかい国アメリカ。

LA

昼飯は海沿いまで足を伸ばそう!と向かったのがVenice Beachのエリア。行く途中で見つけた、ドアを開け放って走行しているFedEx(左上)。因みにこちらで多く見かける人気車ブランドはBMWとLexusで、ベンツやアメ車は比較的少ない。RVはどでかいレンジローバーやGMCが目立ち、日産のX-Trail系の小さいRVはアメリカ人にとっては中途半端な大きさなのか、あまり人気なし。どうせでかいならとことん、って感じでしょうか。

LA

ケイジが好きというカフェに到着し、レジに並ぶ。甘そうなスイーツが沢山あり、チーズケーキの上にオレオサンドが一つぽんと置いてある(右上)のを見て、おおざっぱだけど美味しそうと思う。外の席に案内され、サラリーマン風の4人組を発見(左下)。海沿いで昼食を取れるなんて贅沢だな。因みにスーツなのに靴下は緑、ちょっとおかしかった。

ケイジはオムレツを注文(右下)。でかい。魚好きの僕はスモークサーモンのベーグルサンド(冒頭)を頼んだが、この量が多いのなんの。日本だったらサーモンだけで4人前、ベーグルも150%スケールです。食べても食べても減らない。順調に食べても20分かかりました。そういえばスタバもショートは無いらしいです。小さくて飲めねえとクレームが来るからでしょうか。

お腹を満たした後はVenice Beachエリアに。歴史のある場所らしく、建築様式も一風変わってます(左上)。浜辺に出ると気分は爽快(右上)、波打ち際まで行くきました。ロスの海は水がかなり冷たく、ちょっと水を触ってみたところ千葉の北ぐらいでとてもじゃないが水着で入れる気がしない。ぼちぼち散歩をしたところで、荷物を取りに再度アパートまで戻りました。撮る写真全てにおいて、空が青い(左下)。こりゃ能天気になるわけです。

LA

その後は、ほの暗いホテルの部屋(右下)で仕事でした。雄大な国で小さくなって仕事をするサラリーマン、なんてちっぽけな存在。



(5/14 追記) ケイジもBlog"Things that I think"
書いてます。LA事情や映画の話がオモロイ。

ロスアンゼルスは茶房カステラの夢を見るか?

アメリカ西海岸の気候、雰囲気や住環境の下調べに来ています。今日はロスアンゼルス。

LA

出る前の成田(左上)は曇っていてやる気がとんと出ず。しかも、丁度良い便がなくて大韓航空に。せめてノースウェストと思っていたのに。意外と、乗ってみるとFAの女性達はみんなチェジゥ顔でサービスも真心がこもっている感じだし、機内食のビビンパもなかなか美味しい。エコノミーだったが隣の席が空いていたため、比較的楽でした。今まで東海岸しか行ったことがなかったため、フライト時間が9時間以下というのも嬉しい。

LA

航路は荒れることなく、成田上空以降は常にいい天気。そりゃ雲の上ですからいい天気なんですが(右上)。東京と変わってカリフォルニア上空は雲ひとつない空、下界が良く見えました(右下)。空港にはUCLAに留学中のケイジ君が迎えに来てくれて、ちょっとしたドライブ(左下)。キャンパスから車で5分、ルームシェアで$500程度なのに凄くいいアパートに住んでます。

アパートの中で一番ウケたのが、現像から戻ってきた写真の袋にあったこの宣伝。「うちの使い捨てカメラだとこんなに綺麗に撮れますよ!」というアピールなのだが、左は赤目、背景暗い、白バケ。右は"Just Right!"って。確かに写真はいいが、子供の顔が怖いですから。日本の宣伝ではありえない程にぐわわわわっと主張する被写体ですね。

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LAライフ。真っ青な空の下での波乗りは最高に気持ちいいらしいです。例外にもれず、ケイジのルームメイトは波乗り大好き。アパート内にボードが4枚あり(左下)、本人も褐色に日焼けしていました。キッチン(右下)には明るい日差しが差し込み、あー、こんなところだったら料理もしたくなるだろうなと考えつつ、北斎茶房からのお土産、抹茶カステラをケイジ達にプレゼント。カステラは久しぶりだったようで「美味いー」と喜んでくれました。

 関連記事: ケイジのBlog ジョージが来たぞ!

つづく。



あえて裏庭

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Backyard Cafe & Antique.

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お昼ごはんにどこかいいところない?と聞いたら、サークル&学部の後輩のJ君に素敵な店「バックヤード カフェ&アンティーク」に連れて行ってもらいました。勢いづいているつくば市の現状は、高度成長期の日本を髣髴とさせる新規出店振りです。こちらもまだ新しいのかな?

 シティネットつくば: 「バックヤード カフェ&アンティーク」

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店内はとても暖かくて小奇麗。アンティークがそのままカフェの家具やインテリアに使われており、1940年代アメリカ風です。って、まだ生まれていないので想像で話していますが。

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お店を紹介してくれたナイスガイ、J

カフェというだけあってドリンクも豊富。最近甘味に目がないので「あずきラテ」(写真上)という言葉を見ただけで胸が小躍り、即注文でした。Jはキャラメルラテ(写真下)だったかな?

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食事も手抜きは一切なし。ランチメニューにはローストチキンやモコロコ(ロコモコ?ポコロコ?)、パスタセット等があり、非常に迷います。カルボナーラ好きなのでトマトのカルボナーラ(写真上)を頼みました。彼はきのことベーコンのクリームパスタ。

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就職活動の面接を控えた彼と話していたら、あっという間に1時間半程経過。あとで見たら「はよ戻って来い着信」が携帯に入っていました。やば。写真を撮り忘れましたが暖房設備完備のテラス席もあり、天気のいい日はとても気持ちよく、曇った日でも快適に時間を過ごせる店でした。

がんばれつくば。



仕事で数ヶ月ぶりに戻ってきました。

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東京なら車道だろうという広さの歩道

茨城県つくば市、研究学園都市。今の僕の原点。94年に初めて来たときは何もなくって、唯一のつくばセンターの近くに西武デパート、ダイエー、ジャスコぐらいしかありませんでした。なんて「寒い」街だろうかと。学生の自殺率が高いのも納得でした。

それがいまや、常磐新線(仮)こと「つくばエクスプレス」の開通を控え、新規開発の特需に沸き、分譲マンションはポンポン建てられ新興住宅街も多く開発されています。センター横にはQ't (「キュート」)という地域密着型デパートがオープンし、ビアードパパもスターバックスもGAPも入りました。

どうせ閑散としているんだろうと足を踏み入れたら、むしろ錦糸町の丸井よりも客入りがよく活気がありました。昔はつくばで「カフェ」といえばいわゆる「喫茶店」でしたが、今では東京の人気店に負けないぐらい素敵なカフェが沢山あります。バブルが崩壊し東京都内のマンション価格下落に伴い都心回帰が謳われる中、茨城県のつくば市にはこれだけの人がいて、新たなビジネスチャンスがある。

汚れた空気と汚染された川、数えるほどの星しか見えない夜空に疲れた大人達、のびのびとした環境で子供を育てたい人達。今まではなにもかもが東京に一極集中しすぎでした。これからは少しずつ変わっていくのか?と思うと、ちょっと気分が明るくなりました。

つくばと言えば昔は「筑波万博があったところでしょ」という認識でした。これからは快適な東京近郊ライフの代名詞になるかもしれません。



紅葉がすすむ街に

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出張です。仕事です。つくばです。

東京からバスで1時間、大学6年間を過ごしたこの街で仕事をするのは悪い気がしない。一旦都内の別のプロジェクトに入っていたものの、月曜日から再度呼び戻されて古巣でSEドカチンごっこ。

出張の時間を最大限に生かすべく、真の国際派な同級生よっちゃんとおおよそ1年ぶりに再会。よっちゃんは少年的な純粋さと大人の思慮深さを併せ持った人。11/14のBlog「勝ち組の人間的な魅力」でもちょっと彼のコメントを引用させてもらったのだけど、彼の考えのスケールの大きさには脱帽です。

ホテルが全く空いていなかったため、そのままジャズ研&学部の後輩の研究室にお邪魔し、アパートに泊まらせてもらった。謝謝。

今日は9時~16時まで仕事し、一旦「つくば研修センター」なる宿泊施設にて21時まで仮眠し、先輩SEとともに「ラ・カラフェ」に夕食をしにいったらなんとジャズ愛好会の後輩達がライブをやっていました。みんながジャズを人前で演奏しているのを見て、嬉しくなって「僕も入っていい?」とお願い。1曲だけプレイさせてもらいました。ライブも上手かったし、メンバーのみんなも上達していて一緒にやったら凄く楽しくて、思わぬ収穫でした。

ジャズピアニスト兼、ITドカチニスト。
そんな変な肩書きを持てることを嬉しく思います。ジャズ研&つくば、ありがとう。



第三部からの続き)

第四部: 22日(金)9:15PM

気付くともう東京行き終電の時間で、駅のロッカーから荷物をバッグに移し変えているうちに時間ギリギリに。やばい!切符を買って、あかねと手短な「再見」の挨拶をして最終列車に飛び乗って自分の指定席に行くと人が座っている。あれ?なんとそれは最終列車ではなく、一つ前の列車だった。おっちょこちょいな自分。

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第ニ部からの続き)

第三部: 22日(金)5:30PM

怪我した左腕をかばいつつ自転車をこぎ続けると、ほどなくして京都に到着。いよいよ連絡をくれた知人、あかねとの再会です。

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第一部からの続き)

第ニ部: 22日(金)4PM

京都駅から金閣寺に無事到着。
本物の金閣寺を見るのは、小学校低学年以来でおおよそ20年ぶり。参拝道を奥へと進む足も早まるというものよ。数百年間、変わってないその姿、日本の変化を静かに見守ってきた金閣寺を見たときは、少し目頭が熱くなった。

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第一部: 22日(金)AM

最終日前夜ホテルで朝まで仕事していたためコンベンション参加気分としてはかなり不完全燃焼気味になったものの、最後のクロージングパーティで「よく会いますねぇ」ということでちょっと意気投合した同業他社社員と話してたら、その人から「私の友達、筑波大学卒でIBM2年目なんですよ」と言われ、「え、それってもしかしてナカジマ君?」「え?なんで知ってるんですか」「そっちこそなんで!」ということで知人同士が繋がってしまい、かなりびっくり。仕事中のナカジマ君に電話をして縁が繋がった興奮を3人で分かち合い、琵琶湖の会場を後に。



ITの馬鹿野郎

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コンベンションが終わってホテルでゆっくり休んでます。

ってわけないだろうがヴォケ!ってぐらい、ホテルで朝まで仕事モードになってます。
夕方東京から電話があり、新規導入中のお客様先にてトラブル発生、ソフトウェアの問題なのか操作方法の誤りなのかわからず。状況をメールで送ってもらい、ホテルに戻ったら即刻ThinkPadを開いてメールチェック。

実際は3つの案件でトラブっていて、自分の主担当はその一つなので集中的に問題解決にあたる。GoogleやWeb上の情報、社内Networkの情報をひたすら検索。問題を報告してくれた技術者とネットワーク・チャットでひたすら会話をして、問題を特定すること4時間。その後、社内の技術Q&Aに質問を投げ、ついでに技術に詳しい同期に「これ知ってる?」というお願いメールもして、終わり。なんのためのホテルだろう・・・。

SEって泥臭いんです。なんだか知的な仕事だとか、ホワイトカラーだとか勘違いされる場合が多いんですが、SEってつまるところ、ITに従事するブルーカラーです。それでもやりたいならおやりなさい、っていう。つるはしとスコップとメガホンの替わりに、ThinkPadと無線LANとチャットソフトが僕らの道具。冗談じゃないよ!俺の睡眠時間返せ! (寝不足で凶暴化してる)

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更に言わせてもらえれば、ITは決して頭の良いものではなく、大馬鹿者です。人間が作った物なので、欠陥だらけです。その欠陥に苦しむのは人間です。っていうか僕です。明日SEを目指すあなたです。新幹線のトンネルの欠陥コンクリートなんてなんのその、IT馬鹿が突貫工事で作ったシステムも穴だらけです。情報漏洩だとかクラッキングとか叫ぶ前に、情報漏洩しないシステム、クラックされないシステムを作れってんです。 (寝不足で責任者出てこい!モードになってる)

そんな僕がコンベンションで昨日発表した内容は、実はLinuxで情報漏洩をいかに防ぐか、とかそんな内容なんです。そんなこと言った矢先に、ホテルでアホみたいにThinkPadのキイボオドを怒涛の勢いで打ちつづけている自分がどこにいると想像できたでしょうか?「ふーん、なるほど!」と納得してくれたお客様がこんな僕を見たらどうなってしまうのか?その答えはまた今度! (寝不足でどうでもいいモードに)

もう5時なんです。
もう眠いんです。
なのにホテルから日記を書いている自分が一番、ITの大馬鹿野郎に毒されている、IT毒され大馬鹿野郎だってんです。

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IT馬鹿野郎の行く末です。



台風の馬鹿

iSUCというコンベンションで発表する機会があり、琵琶湖ほとりの大津プリンスホテルに来てます。

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本当は昨日の内に新幹線で来てゆっくり休んで朝から発表するはずが、見事台風に巻き込まれてしまい新幹線は足止めで帰宅、結局早朝の新幹線で急いできてバタバタしながら発表。

前回の台風では出張先の筑波からの常磐線が全線見合わせになり、バスで帰っていたら友人の結婚式2次会に遅れてしまった。近頃、出張と台風が重なり個人的大惨事ばかりでございます。

なんだか日記っぽいですね。
あ、日記か。



相変わらず筑波に出張中でございます。

仕事を終えてホテルに戻ったのが5:30AM。起床は7:40AM。正味2時間の睡眠の為にホテル代10000円を払っていると思うと本当に馬鹿馬鹿しい。でも、風呂も入らず着替えもせずに現場で寝ると気分的に寝た気がしないから、1時間あたり5000円払ってでも寝たほうがマシなんだなあ。

24時間体制の現場では半数近くの社員が頭痛を訴え、去年から入りつづけているコアメンバーは「もうどうでもいいっ!」とか「くそっ!」とか「あ゛ーもうっ!」と毒づいていている。社用車の運転も日に日に荒くなり、「ひき殺すぞ!」とか「飛び出してくんなぁっ」などと言葉遣いまで殺伐としていくのが判る。本当にひき殺さないといいが。

以前読んだ本に記述されていた実験では、水槽にネズミを入れて、丁度後ろ足立ちをしていないと溺れ死んでしまうぐらいに水でひたひたにすると、哀れネズミは後ろ足で立ち続けて生きようとするが結局最後は死んでしまうという内容だった。僕らサラリーマンSEがはまっている筑波の水槽はちょうど水でヒタヒタなのかもしれない。立ち泳ぎをいつまで続けられるのだろう?死なない程度に。

超個人的に明るいニュースとしては、2002年から惰性で続けているこのWebサイトがいつの間にか20000ヒットを超えていた。文章能力が高いわけでもなく、何かに特別詳しいわけでもなく、つらつらと日々思いついたこと、愚痴、不満、疑問、感激、思想等々を書き下しているだけだ。20000ヒットなんて多くのサイトからすれば鼻くそのようなものだが、適度な自己満足にはなる。

20000ヒットの内の多くは検索エンジンから「アヤヤとミキティ」とか「ジャズすっぞ」とかそんな言葉に誘われて来て、好みのアイドルが貶されているのを見てなんだこのサイト屑じゃんか、などと毒づいて去る人も居ると思うが、中にはちょっとした文章を読んでくれてそのままリピーターになってくれている方もいらっしゃるのだろう。

まことにありがとうございます。

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2004年に見つけた20004ヒット。
ちょっと嬉しい瞬間でした。

とか書いてるうちにもう6時前だ。
ネズミはもう寝ます。



Changing The World by : Unknown

When I was a young man, I wanted to change the world.
I found it was difficult to change the world, so I tried to change my nation.
When I found I couldn't change the nation, I began to focus on my town.
I couldn't change the town and as an older man, I tried to change my family.

Now, as an old man, I realize the only thing I can change is myself,
and suddenly I realize that if long ago I had changed myself,
I could have made an impact on my family.
My family and I could have made an impact on our town.
Their impact could have changed the nation and I could indeed have changed the world.

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問題解決。

重大な問題解決のために、SEも営業も、マネジメントから現場まで昼夜頑張っている。SEはSEの立場から、営業は営業の立場から、各々の立場だけを考えて発言すると、必ずケンカになる。「現場は上の立場を判ってない」「営業は金をロスすのが恐いだけだ」「SEは金に対して無頓着だ」等、全員が「正しい事」を言いながらも、お互いにとって妨害となる意見を言ってしまう。

問題が解決するまでの間、朝晩2時間アメリカと日本で電話会議をしていた。
度々、技術サイドと営業サイドが「日本語で会話させて」と言ったまま15分もの間アメリカをほったらかしにしている現状を目の当たりにしてストレスが溜まっていたが、一昨日の晩それが爆発した。

またもや電話の向こうのサポーター達を置いてきぼりにしてグダグダ議論している二人に、"Stop it, take it offline ! The guys in the US are waiting on us, and they are putting in valuable time for our support. TAKE IT OFFLINE !" と思わず怒鳴ってしまった。その後会議は元に戻り、アメリカ側も淡々と会議を続けてくれた。

怒鳴ってしまった自分も恥ずかしかったが、アメリカが全力で支援してくれているのに日本側の足並みが揃わないのを目の当たりにし、電話会議の雰囲気でアメリカにそれが伝わってしまっているのが納得できなかったため、その後日本の会議参加者にメールを送った。

内容は以下の通り。

-対立意見を持つ者同士は予め同意に達し、日本で一貫した意見をアメリカに出しましょう
-USに意見を言いたい人は電話会議30分前までに日本の全員にメールを出しましょう
-メールを出した人は電話会議開始15分前に会議参加しましょう
-対立意見を持つ人は同じく15分前に会議に参加し、互いに協議しましょう
-もしくは、いっそ全員15分前に会議に参加してもいいのでは?

という事で、結局日本側で15分前に会議を開始し、アメリカに伝えたいことを予め協議した。その結果、今まで最長2時間かかっていた電話会議が、過去最短時間の30分で終わった。その後の3回の会議も、長くても55分、短い時は40分程度で終わった。

周りの環境に我慢できなくて、最初はクビを覚悟で社長に直メールを打とうかと思ったぐらいだ。
相談相手に「それは止めておいた方がいい、まずはもう少し下の人に」と言われ、躊躇した。
その後、会議で爆発し、キレた自分を反省し、なぜキレたかを診断し、プロジェクトを辞めたくなった。
でも、その後みんなに送ったメール一通で、全てを変えられた。

元々コミュニケーション希薄なチームだったが、日本だけで15分電話会議で会話するだけで互いの立場や考えを理解できるようになった。アメリカに「日本は一枚岩だ」というスタンスを示せた。いつの間にか、会議でイライラすることもなく、全員が(そこそこに)和やかで有意義な時間を過ごせるようになった。

自分から変われば、自分の近くの人達を変えられ、いつしかまわりの世界ですら変えられる。
2年前に僕に冒頭の詩を送ってくれた人は、そんな事を自ら感じていたのだろうか。
僕はこの辛いプロジェクトに入って、逃げ出さなくても、人に頼らなくても、世界を変えられる事を感じた。



つくば市での出張生活は今日で早くも11日目に突入。

朝8時と夜11時、日本IBMとアメリカIBMで電話会議を開く。

大きなプロジェクトだから、会議には20人近くの人が参加する。
積極的に参加する人もいるが、じっと黙って聞いているだけの人もいる。
英語のヒアリング・トーキングが不得意な人は参加しづらい。
どうしても意見を述べたい場合は、日本語で言って、誰かに訳してもらう。

問題解決のための会議だが、色々な人がいるが、基本的には
朝晩2時間、アメリカでは朝と夕方の2時間を自分の時間を惜しまずに
提供してくれる人達だから、問題解決に一心不乱な人達だ。

だが、中にはどうしようもない奴もいる。
現場のことを何も知らずに自分が見えている視野だけで語る奴だ。
その様な人間が口を開くと、せっかく参加者が問題解決に向けて
動き出したのに、一気に停滞する。混乱する。進捗が後捗する。
アクセルがブレーキする。赤ちゃんがお母さんの中に戻る。
臍が茶を沸かす。膝がガクガク震える。アゴをガタガタ言わせたい。

 「事件は現場で起きているんだ、会議室で起きてるんじゃない」

という超有名な台詞があるが、奴の発言はその上を行く。

 「事件は会議室で起こしているんだ!俺が!

どこの社会、どこの会社にもこのような人間はいるもので、本人は
もっともな事を言っていて説得力があるつもりなのだが、周りは白ける。
プロジェクト参加前に「バカの壁」でも読んでほしいものだ。もしくは、
「話を聞かない男、それは貴方です」「現場を知る賢者、知らない馬鹿」
でも、読んでほしい。そんな本はない。

今、このプロジェクトに終わりは見えない。解決した時が終わった時だ。
解決の目処が立たないときは、途方くれることもある。たまには
モチベーションも下がる。眠くもなる。喘息ばりに咳が出るときもある。

tunnellight.jpg
客先の構内にて

とかなんとか言いつつも、プロジェクトは楽しかったりする。
会社に入って働いているからには、お客様の要求を満たす為に
頑張るのは当たり前ではないか?

終わりがなさそうなトンネルだが、歩きつづければ出口があるはず。



僕は筑波大学に6年間通っていました。

陸の孤島、筑波大学。東京からバスで1時間~2時間、電車だと1時間20分+バス30分、しかもバス停から宿舎までは更に20分。軽く往復4時間かかります。4時間というと通常の仕事時間の半分です。とはいっても、最近は一日20時間仕事したりするのでその中で往復する暇も無く筑波に入り浸ってます。

宿泊先のホテルは潰れる前は第一ホテルでしたが、今はホテルオークラ。名前はかわっても中身は一緒です。東京のシティホテルと比べると比較的部屋が広いのが快適です。でも宿泊者は少ないです。大丈夫でしょうか?

筑波センターから客先の研究所までタクシーで1300円かかるとか、
客先の正門入ってから目的の建物まで徒歩8分かかるとか、
ホテルに帰ろうにもタクシーは深夜過ぎると一台も走っていないとか、
タクシー会社に直接電話をしても担当者が寝ているとか、
何度もかけなおさないと出ないし、出ても「ん?あぁ、ダクシー?」と寝ぼけてるとか、
歩道に中央分離帯があるとか、東京の車道よりも驚異的に広いとか、
今更ながら陸の孤島だな、よく6年もいたなと思います。

tsukuba.jpg
驚異の町つくば市

そんな筑波、僕は嫌いじゃないです。
着替えを取りに久しぶりに東京に戻ると、人が多すぎて気持ち悪いです。

熊本出身の同僚は、初めて東京に来た時に

 「一体今日は何の祭りだ?」

と思ったそうだ。確かに、人多すぎです。



会議のための会議はするな

大トラブル。

客先で大問題が発生し、自分もエンジニアとして支援することに。締め切りが近い現場は火の車、僕と同年代のSEがプロジェクトルームで朝7時から深夜越えて次の日の朝4時半まで作業する日々が金曜日から続いている。

問題に対応する人間が増えるとそれをまとめる為に会議を開く必要があり、そのたびに作業が中断されるのが耐えられない。だが、米国本社のアメリカ人と国際電話で開催する会議は、非常に効率がよく問題解決への道筋がどんどん造られて行く過程がわかる。

最近気付いたのだが、日本人の会議は「会議のための会議」だったりする。「では、今発生している問題をまとめましょう」「その解決は誰がやるのですか?」「それは私の責任ではありませんから」「あなたがやるって言ったでしょう!」 その内ケンカになる。何も解決しない。うだうだ。ぐだぐだ。

外国人との会議はストレートで意味がある。「その問題は私が解決しよう」「新しい問題だな、では手分けしてこことここで対応しよう」「この問題は○○が適任者だ、打診してみよう」と、会議の参加者が「問題解決」を目標として積極的に動く。当然、自分もその一員となり、自分にできることはやる。

情報をやり取りしている米IBMの社員に、「いつもありがとう、とても助かるよ」というメッセージを送ったら、こんな答えが返ってきた。

"George, we are a team and will work to solve our customer's problems."

僕らはチームだ。お客様の問題を解決するために協業しよう。当たり前の事だが、往々にしてその目的は忘れ去られて会議のための会議、報告のための報告をする人たちが後を絶たない。そんな中で、このようなことをさらりと言える人たちとの仕事は、時差と眠気を越えて協業する楽しさに溢れている。



高い視点から見よう

なぜ社長室は最上階にあるのか?

新入社員時代に、朝7時に六本木の本社の最上階に登り、社長室前から東京を一望したことがありましたる。普段歩いていると、ごちゃごちゃ入り組んでいて判りづらい六本木の裏道も、上から見るとよーく見える。ああ、こうなっていたのか、と。全部判るんです。

きっと、社長という立場から世の中を、会社を、社員を見るためには、高い視点が必要なんでしょう。

今は社内の「チームワーク研修」なるもので、三浦海岸のホテルに来ています。他部門の人との交流、事業部長との会話を通じて感じるものは、うちは典型的な大企業病にかかっているということ。

 「これをやれ」「あれをやれ」と自分の直属の部長は皆に指示を出してくれるんですけど、「なぜそれをやるのか」ということまでは伝わってこない。ゆえに、皆やろうとしないんです。でも、レイヤーとして直属の部長の上の上の上の人間である事業部長と話をしていると、

 「今はこういう問題をみんなが抱えている。それを解決するために、これをすればよい。だから、みんなこれをやってくれ。」

という、全員が抱える問題を解決する為に、色々な指示がトップダウンで出ていたことが判るんです。ただ、彼から下の人間に、その下の人間に、またその下の下の人間に伝わる頃には伝言ゲーム状態で、

 「シートベルトを締めないとたとえ時速30キロメートルでぶつかっただけでも瞬間的に自分の体重は1トンを越え、窓ガラスから飛び出して路上に転がり頭を打って即死する可能性がある、だからシートベルトを占めなさいよ」

 「シートベルト締めなさい」

に、なる。

じゃあ中間の人間が悪いかというとそうでもなく、間に人が挟まれば情報が減ったり変わるのは伝言ゲームの定め。だから、下の人間が、

 「常に上の立場に立って考える」

ということを実践すれば、

 「シートベルトを締めろ」

と言われた時に、

 「シートベルトを締めないとたとえ時速30キロメートルでぶつかっただけでも瞬間的に自分の体重は1トンを越え、窓ガラスから飛び出して路上に転がり頭を打って即死する可能性がある、だからシートベルトを占めなさいよ」

という理由を考えられるのかもしれない。


でも、そんな事は説明されずに、僕ら下の人間は

 「上の立場に立って物を考えろ」

と言われるばかり。駄目だこりゃ。


なんで、上の立場に立って物を考えるといいのか。
それを考えるところからはじめよう。
高い視点から見よう。



出向を待つ凛々しい姿。
 
 
船のIT環境を整える今回の仕事は、かなり面白いです。
 
液晶ディスプレイの普及で、最近はどこにでもPCのモニターを置くことができるようになりました。狭い船内、今までだったら「こんなところにモニターおいたら邪魔だろう!」というようなところでも、液晶ディスプレイを壁掛けにして電子掲示板として使うことができるんです。
 
たとえばこんなところ。
船内のダイニングルームです。
食事を食べている時でも大切な情報は逃さない。
 
コックピットにだってあります。
画面には写っていないものの、コックピットの中はIT機器だらけです。
昔ながらのアナログ機器もありますが、操縦舵なんて家庭用ゲーム機のレーシングゲーム用ハンドルのようにシンプルです。あの、大しけの時に船長が力いっぱい回そうとして逆に波に弾き返されるような木の舵なんて今時流行らないみたいです。
 
そして船員の部屋にもパソコンが。
多くの船員は無線LANつきのノートパソコンを使いこなします。
船内を自由に移動しながらネットワークに繋がることができます。
 
船長室もIT完備。
昔は艦長が「航海日記」なるものを日々綴ってしていたもですが。
今や航海日記もWeb、データベース、ワープロソフト等を使って書く時代なんですね。海外から絵葉書を書送ることもなく、リアルタイムで洋上からメールが打ててしまう。
 
こんにちは、今日は緯度63度経度156度付近です。
海は大荒れ、この大きな揺れに慣れない船員が甲板を汚しまくってます。
明日はサメの居る海域を通るので、悪い子は海に投げ込んでしまいます。
いい子にしていますよね?
 
      -パパ-
 
などと書けてしまうわけです。それはそれで味気がないのででたまには絵葉書も家で待っている妻や子供に送るのが優しいパパってもんです。
 
昼食後、ぼーっと空を見ていました。
台風一過、新潟の澄み切った青空に雄大な雲がぷかぷかと流れています。
東京の空とは違うのは空気が綺麗なせいでしょうか。
 
 
夕方、仕事が終わったところで、もっと空が見たいと思いマストに登りました。
コックピットより更に15メートルほど登ったマストからの眺めは、最高です。
蒼い、蒼い空がずっと広がり、東京では見られない雄大な日本海が見えました。
 
 
ぐるりと200度見渡すと、かすかに地球の丸みがわかります。そうだよなー地球って丸いんだよなー地面にいると平面に感じるのに、生きているってなんだろう?とわけもなく哲学者になります。
 
こんなに遠くを見渡したのはいつぶりだろう?ノートPCの前で30cm先の画面を凝視する日々。
人間らしさとはなんだろう?
 
 
ふと海岸線を見ると、ハンパなく大きな水しぶきが上がっています。
なんだろう?じっと見ていると、それは日本海の荒波が防波堤にぶつかって舞い上がっているのでした。幾度となく、押し寄せてはぶつかり、押し寄せてはぶつかり。建物の15階以上に上がる水しぶき。膨大なエネルギー。見ていて飽きません。
写真の中心の白いモコモコのようなものが、絶え間なく海岸線のいたるところで舞い上がっているのです。
もっと近くで見たくなりました。
 
帰りのタクシー、「日本海に寄ってください」と運ちゃんにお願いして、とっておきのスポットに連れて行ってもらいました。昔の海岸線を越え、数千のテトラポッドが新潟の街を水没から守っている防波堤で少し降ろしてもらい波鑑賞。
 
なんなんでしょう、この大きさは。
テトラを越えて防波堤の上を歩いていたらひとたまりもない。壁にぶつかった瞬間、波は電信柱の二倍以上の高さに舞い上がります。15メートル、強い波で20メートル以上。
 
500メートル離れた船のマストからでも「ゴパーン」という音が聞こえたぐらいだから、間近で見て聞くと物凄い迫力です。ドルビーサラウンドのホームシアターシステムなんて目じゃないです。映画「パーフェクトストーム」よりも迫力があります。だって本物だもの。
 
台風シーズンになると、必ずといっていいほど
 1.女性お天気キャスターによる暴風雨レポート
   (風でスカートめくれるのは意図的だ!気をつけろ!)  と
 2.子連れで波を見に行った父親が波にさらわれて行方不明ニュース
   (その後キャスターが「安否が心配です」とわざとらしいぐらいに心配なそぶりを見せる)
という定番がテレビで流れるわけですが、今ではその気持ちがわからないでもない。
 
確かに、今までに見たことのないスケールとパワー、音と視覚、これは見るっきゃないんだろうなと。僕ら東京人にとっては、こんな波普段じゃ見られないから台風だとついつい近くまで見に行ってしまうんだろう、無知だから。
 
 
動画でお見せできないのが非常に残念です。ほんの数十メートル先で、高さ3メートル以上の波がコンクリートにぶつかって、はじけてるんです。タクシーの運ちゃんが「新潟の人はテトラポッドに守られてるんだよ」と言っていたが、確かにこの防波堤がなければ海抜マイナス1メートルの街はあっという間に水浸し。冬になれば、台風でなくとも日常でこんな荒波がドカドカぶつかってくると言う。現地の人にとっては日常茶飯事なのに、僕にはとても新鮮でした。
 
なんの話だっけ、ああそうだ、出張だ。つまりは、
 1.空を見た
 2.マストに登りたくなった
 3.遠くの波が見えたから近くで見たくなった
ということ。
 
高い視点からものを見ると、今まで見えなかったものが見えてきて色々興味深い。
高いところに登るのは馬鹿と煙と言いますが、あなたもたまには無心になってマストに登ってみませんか、ということを言いたいんです、きっと。


映画的出張生活

台風も過ぎ去り新潟は平和です。
 
でも、潮の満ち引き、風、あたりを通過する船の影響で、作業中の船内はグラグラ揺れます。暑さ、揺れ、そこにいるだけで歯が溶けそうなペンキやシンナーの臭いでかなりクラクラします。船でラリるなんて初めてです、貴重な体験。
 
だんだん船の中身も完成が近づいています。これはちょっとえらい人のキャビン。
21インチの液晶TVの下にはDVD&ハードディスクレコーダー、冷蔵庫、右にはカラープリンター、奥には4人ぐらいでお喋りができるナイスな席があります。左手前はベッド。
 
操舵室から後方を見たところ。
後ろにハッチと新潟港の夜景が見えます。きらびやかさでは横浜の夜景にはかなわないけれどシンプルで綺麗です。
 
マストです。
マストにはインマルサットという衛星電話のアンテナやら、JRC(日本無線)のアンテナやらレーダーやら沢山ついてます。これが折れると大変なことに。
 
よく映画なんかではこうなります。
マストにくくりつけられた人質です。大体人質の後ろには爆弾がセットされていて、主人公のスティーブンセガールが救出しようとすると爆発しそうになり、青いワイヤーか赤いワイヤーのどちらかを切ってギリギリ解除されたら残り時刻が0.3秒だった、というのが定石のようです。マストを破壊したら船は使い物にならなくなるので、そんなテロリストは馬鹿です。
 
船内に向かって話し掛けるマイクですね。
「えー、我々はテロリストである。この船を占拠し。爆弾を随所にセットした。命が惜しければ1億ドル用意しろ。警察に通報したら船を爆破する。以上。」
 
え?仕事しろって?してますよやだなあ。待ち時間が多いんですよ色々と。


新潟のとある造船所はワクワクがいっぱいです。
 
休憩中、周りにある様々な「!!」に思わずキョロキョロ。
まずはこれ。北朝鮮のあの船でしょうか?
万岬望号か?
ただの水産高校の船でした。マンギョン・・・ではなかった。
 
次にこれ。巨大な竹とんぼですか?
巨大スクリュー
取り付け前のスクリューでした。でかい。軸が10メートル近くあるんです。
 
これ。なんですかこの顔は?恐いです。箱の怒りが伝わってきます。
怒る積荷
吊荷の下に入るってのはそれぐらい恐いらしいです。
かなり恐い。そりゃ逃げるわ。
 
これは?最新式の木製液晶ディスプレイでしょうか?
隣にあるコード付き携帯電話もシュールです。
最新型木製モニタ
よくわからないけどモックらしいです。
「これぐらいのサイズです」とデモをするためでしょうか?でも何故か木製。
 
造船中の船です。内装がほぼ完了。
造船中
 
いっちょまえに造船所従業員のフリして、セルフタイマーで撮ってみました。
なかなかよく撮れてます。
造船中と僕
船が。
 
以上、新潟からレポートでした。明日も作業は続きます。どんなドキドキが待っているのでしょうか?
 
って、ペンキ・シンナー・熱・粉塵 等の劣悪な作業環境でシックハウス症候群気味、仕事は大変ですが、せめて楽しまないとね。



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