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2005年02月02日
あえて馴染まない
When in Rome, do as the Romans do.
HISのCM。グレーの風景、つまらなそうな団体ツアー。メジャーリーグ帰りのシンジョー選手が振り返って決め台詞。
「フリィーダァァム!」
って、めちゃくちゃカタカナ読みですから。
「Freedom !」 じゃなくて、「フリィーダァァム!」
彼はなんのためにアメリカに行ったのでしょうか。野球の祖国に行って、ベースボールをしながらアメリカ人と仲良くなって、英語も学んで、別荘でも見つけて引退後に余生を過ごす快適な場所を探す、というわけではなかったようです。
英語を学ぶことは放棄し、24時間通訳をつけていたのでしょうか。「誰も仲間に入れてくれないよ・・・」と疎外感を感じたのでしょうか。それとも、馴染むことは目的とせず、とりあえずメジャーリーグ帰りという「はく」が欲しかっただけなのか。もしそうならば、その後の人気を見る限り戦略としては正しかったみたいです。
言語つながりで。
海外のアーティストが日本に来ると、「コォンニチヮ、トウキョウ!」とその場で覚えた日本語で挨拶してくれたりするけど、あれは媚を売っているのではなく、その国の言語で挨拶をすることで自分に対する垣根を取っ払おう、という意思表示。
同じく、日本人が海外で生活するにあたっては、その国の言語や挨拶を最低限身につけて、自ら垣根を取っ払うべき。通訳に頼っていては「お前ら日本語わかんないだろ、俺とコミュニケートしなくっていいよ」と思われてしまい、受け入れられません。
僕が好きな言葉 - 郷に入っては郷に従え。
それだけに、現地になじまなかった日本人の姿が「フリィーダァァム!」から感じられて悲しいのでございます。
投稿者 g_nagata : 2005年02月02日 19:07
コメント
わたしもそう思います!!
卒業旅行でスウェーデンに留学している友人の寮にお世話になった何日間か、「なんていったの?こういう話?」とか「○○ってスウェ語でどういうの?こうこうだっけ?」とか
自分の感覚からするとうざいくらいにからんでたら、
そのあと自分が帰ったあとにすっごい評判が良かったって友人に言ってもらえました。
よくわかんないのに口だすのはどうかなーって思っておとなしくしがちの人もあるだろうけど、
やっぱりせっかくだから知り合いたいですもんね。
ちなみに国内でもわたし、すぐ方言になじんでしまいます。
というかエセです。エセ以下とか言われたりします。
でもいーの。楽しいから。
投稿者 いーこ : 2005年02月03日 01:04
カタカナ読みで大いに結構じゃないでしょうか。
私はSHINJO選手のことも、そのCMも知りませんが、
・CMの中のセリフで人を判断するのは、悪役の俳優を悪人だと判断するのと同じ。
・英語の発音はカタカナ風でもインド風でも豪州風でも相手に通じれば良い。
・英語を自由には使えないアメリカ国籍の人が、普通に生活を営んでいる。
以上の理由より、今回の内容には疑問を持ちます。
投稿者 よっちゃん : 2005年02月03日 10:33
タケシ君のBlog初めて来てみました。おもろいね。しかし、タケシ君は多才だねえ。まじで。
でもこの内容についてはよっちゃんと同様に疑問ありですな。
理由:
①新庄は英語喋れなくても普通に打ち解けていたらしい。
②海外アーティストの「コンニチワァ」と新庄の「フリィーダァァム」にはあんま差がない。
③六本木辺りで英語しか喋れないで我が物顔で歩くアメリカ人と比べれば新庄の方が圧倒的に偉い。
ってか野球が出来るのも立派なコミュニケーション能力の一つ。っていうより単に英語出来るより全然すごい。
はい。大学の課題に戻ります。
投稿者 ryuichi : 2005年02月03日 15:40
新庄さんに関してはあれで良いんじゃないでしょうか(笑)
郷に入っては郷に従えって言うのは良く分かりますが、ホント人それぞれですからね。TVで見る姿もほんの一部ですから。
日本人も外国人も皆色んな人がいますよ。
皆違って皆良いんじゃないですかね。
とりあえず、新庄さんは宇宙人なので地球の常識など通用しないと思いますけど(笑)
投稿者 てぃーぼ : 2005年02月03日 17:10
いーこ様
僕もどっちかというと通訳つけてどうのこうの、というよりは、ジェスチャでもなんでもいいから自ら打ち解けようとする派です。短期間でビジネスだったら通訳は必要だろうけど、そうでなければボディランゲージでなんとかできるしね。
プロスポーツというビジネスを短期間でモノにする選手には通訳は必須。でも、イチローは記者会見を自分で答えているし、中田も通訳なしでイタリア語しゃべるようになってるんだよね。努力のたまものだ。
よっちゃん、りゅーいち君、
率直なコメントありがとう。
ざっくばらんに。
・新庄の評価が目的ではなく、「郷に入っても馴染もうとしない風潮」への憂い
・言語ができる、できないは重要ではないが、郷に入ったら言語を積極的に学ぶ姿勢は重要だと思う
・「カタカナ読み」発音や外国人による「コンニチワァ」発音が良い、良くないというのは問題にしていない
・野球/サッカー/留学/ビジネスにおいて、他国での生活をする人を大きく分けると、長期間他国で過ごすのを目的に馴染む努力をする人と、「どうせ帰るんだから」と馴染まない人がいる
・後者の例は「六本木辺りで英語しか喋れないで我が物顔で歩くアメリカ人」
・留学/仕事で前者の例は、よっちゃん&りゅーいち君
・野球選手で前者の例は長谷川、イチロー、ビッグ松井、サッカーで前者の例は中田
・以上は全てメディアやネットを通して感じた内容なので、事実と異なることは十分にある。(例:新庄は英語喋れなくても普通に打ち解けていたらしい → 初耳)
で、このBlogを書いたきっかけ:
・もし真摯な態度でアメリカ人と接していたら自然とアメリカ英語を喋るようになるよな、という違和感をCMから覚えた
・その違和感と新庄の姿を今も多く存在する「馴染まない日本人」の姿と重ね合わせた。Blogには書いていないけど、佐々木の帰国にも疑問を覚えていた
ついでに言えば、「アメリカ留学してきました!」というハクだけで仕事できると思っていないよな、自分?という未来の僕自身への警鐘も、含んでいます。
http://www.amespo.com/member/marume/sasaki2.html
http://www.ismac.co.jp/txt/kiji/2004/msn040129.html
因みに、1994年には「ざっくらばん」だと思ってました。今ではすっかり日本語にうるさい日本人になり、英語と日本語を両方喋る日本語英語は苦手分野に。
投稿者 ジョージ : 2005年02月03日 17:47
てぃーぼさん、
>とりあえず、新庄さんは宇宙人なので地球の常識など通用しないと思いますけど(笑)
おっしゃるとおり。
彼が渡米する前か直後か、彼について書かれた本を読みました。彼の考え方や世間に対する姿勢には共感を覚えました。
それまでは「なんだこの選手は?」という感じだったけど、それを読んでから彼の「宇宙人的」な言動の半分は計算ずくで、半分は「ありのまま」でいる彼の自己表現なのかな、と思うように。
型にはまることが当たり前とされる日本。球界にもっと異端児キャラが増えると面白くなりますね。異端児が増えすぎると彼は普通の人になっちゃうんですが。
マーティ・キナートGMが率いる楽天が球界を面白くすることを期待してます。
投稿者 ジョージ : 2005年02月03日 21:43
うむ、なかなか興味深い。
たぶん新庄のあれはキャラだろね。逆にあのCMでに新庄がめちゃくちゃキレイな英語を使ったら、俺はそっちの方に違和感を感じるかな。あのCMは新庄のそういうキャラを使いたかったと思われる。オロナミンCの「オフコォォース!」も同じね。もちろん英会話のCMには使いたくないが。
外国に馴染もうとしてる(していた)かどうかは一言のセリフからはわからないってのは俺もそう思うよ。メジャーリーグに挑戦しようとしている日本の野球選手はメジャーでプレイするのが大目的だから、例え英語がカタカナ読みでもしょうがないしょ。
ただ、郷に入らば郷に従えには賛成。それは礼儀だと思うし、そこの社会の秩序を保つための礼節だとも言える。あと、自分のためにもね。
投稿者 hiroc : 2005年02月04日 01:59
丁寧なレスポンスありがとう。
このエントリーに関しては、残念ながら、依然として疑問は
ぬぐえないままですが、タケシの亀三は楽しく読ませて
もらってます。もう少しだけ書かせてくださいね。
> ・新庄の評価が目的ではなく、「郷に入っても馴染もうとしない風潮」への憂い
> それだけに、現地になじまなかった日本人の姿が
「フリィーダァァム!」から感じられて悲しいのでございます。
という2つの文章が同じ視点から書かれているのだとすれば、
タケシは「馴染もうとしない姿勢」を「フリィーダァァム!」
の中に感じているということであり、
> ・「カタカナ読み」発音や外国人による「コンニチワァ」
発音が良い、良くないというのは問題にしていない
には十分な説得力が感じられません。タケシは「カタカナ英語」
の中に「馴染もうとしない姿勢」を見出したからこそ、
今回のエントリーを書いたのではないでしょうか。
あとは最初に書いた3点のとおりです。
投稿者 よっちゃん : 2005年02月04日 03:13
以前ダマスカスに住んでた時にアラビア語が全く話せないアメリカ人ジャーナリストの知り合いがいました。
アラブ情勢を報道するのが仕事なのにアラビア語が出来ません。しかも勉強する気も見えません。
彼はいつも怒っていました。曰く「なんでシリア人はこんなに英語が話せないんだ!」
僕はこの人はとても馬鹿な人だなあと思っていました。
つまり僕も「郷に入れば郷に従え」には大賛成です。
んで、新庄の話に戻ると、彼は英語は出来ないけど野球が出来ます。野球しに来てたと思います。アメリカに。
スポーツ選手だからって英語に限らず語学できるに越した事はないけど、語学の勉強しに来てる訳じゃないから同じ尺度では測れない気もしますな。
ってかタケシ君アメリカ留学って何するの?MBA?
投稿者 ryuichi : 2005年02月04日 05:28
伝わっていると思うけど、念のため。
俺も「郷に入れば郷に従え」には大賛成です。
投稿者 よっちゃん : 2005年02月04日 10:20
返事遅くなりました。すみません。
現時点で言えることは、以下4点。
・CMとしては形がどうあれ多くの人の興味を引いたので大成功
・新庄選手の渡米は、その後日本での彼のステータスが上がったのを見る限り大成功
・英語が上達したか否かはCMからはわからず
・他国の言語が喋れなくても野球ができれば選手生活は送れる
カタカナ英語とアメリカ馴染む/馴染まないの関連性に関する疑問について。
>「カタカナ英語」の中に「馴染もうとしない姿勢」を見出した
カタカナ英語を → 馴染もうとしない姿勢
ではなく、「2年間英語圏にいても100%カタカナな英語」 → 「現地の人と遊ばなかった人、馴染まなかった人」を見出しました。2年間中国に住んでもマー、マー、マー、マー、マーの言い分けができない人を見たら、よっちゃんは「馴染んでないな・・・」と感じませんか?
・ある一時点でカタカナ英語を喋ることが、現地に馴染まない日本人の姿勢とは見ていない
・カタカナ日本語を喋るアメリカ人は、現地に馴染む姿勢と感じる
以下は学術的な根拠はなく、あくまで自分の経験と、他者の上達ぶりを見て思った内容です。個人差はあり、年齢が高ければ高いほど上達は遅いです。ちなみにうちの母親は30歳以降に初めてアメリカに住んだのにも関わらず英語はほぼネイティブです。一方、父親は同じ年数海外に過ごしたのに20%カタカナ英語。恐らく母親の方が日常で現地の人間と多く接していたのだと思います。
・2年間英語圏に住んだ日本人の多くは、100%のカタカナ英語を喋らなくなり、0%~30%程度のカタカナの英語を喋るようになる
・2年間アメリカ人と通訳抜きで日常的に話をしていれば、カタカナ英語からはある程度脱却できるまでの過程:
- 新しい言語環境で過ごし始めると、まず耳ができあがります
- 3ヶ月もすると、カタカナでは表せない英語のリズムや発音を理解するために、頭の中でカタカナ的な判別をしなくなります。
- カタカナから、英語の音素へ。英語に限らず、フランス語のJeとJusや、中国語のマーとか、その言語独特の音に耳と頭が慣れます。
- 1年が過ぎると、耳に舌が連動できるようになります。英語においては、徐々に"Za"と"The"の違い、"Read"と"Lead"の違いを喋り分けられるようになります。
- 2年が過ぎると、上達が早い人は「小さい頃海外に住んでいたの?」というぐらいの発音レベルになります。
この上達は個人の能力以上に日常でどれだけの言語を聴き、話したかによって変わります。留学した先で日本人とばかり遊んでいた日本人と、外国人も日本人も分け隔てなく遊んでいた日本人とでは2年でかなりの差がでます。
2年間現地に行っていて100%のカタカナ英語を喋っていたら、あまり現地の人と遊んでいなかったのかな、と僕は感じてしまいます。カタカナ英語で不自由なく喋っていれば別ですが、もし日常会話をカタカナ英語で、一言ひとこと考えながら言っていたら、の場合です。
以下、蛇足ですが日米野球関係についての僕の考え。
新庄選手がたった2000万円の年俸でメジャーに行くと宣言した時に、彼の「異端児的な性格」が日本で持て余されているから、もっと幅広く活躍できるメジャーリーグという新たなフィールドを選んだのだと思いました。野茂選手や長谷川選手のように、メジャーリーグベースボールと米国で中長期的な野球生活を送るのかと思っていたら数年間で帰国したので残念に思いましたが、選手価値の上げ方としては成功です。
今後、純粋にメジャーで生きようとしている選手もいる一方で、「価値をあげるため」の選手が増える事が心配です。
球団側は多くの日本選手に最低年俸の2000万円を喜んで払うでしょう。知名度の高い日本人選手が一人入ってくれれば、日本人客チケットもJTB団体向けチケットも日本向け放映権もグッズも売れます。2000万円なんてあっという間にペイバックします。
選手側は全試合を日本で放映されるわけではないので、たまにいいプレイ、注目されるプレイをすれば放送されます。まだ、メジャーの日本人は少ないので、国内でプレイしていた時よりも注目度は抜群に高い。そのPR料を考えると、2000万円しか貰えなくってもその後十分にペイパックします。
お互いの目論見が合致する安易な「メジャー野球留学協定」が結ばれてしまった場合、真剣にメジャーでプレイしたい選手は「また目立ちたがりの日本人がきたよ」と甘く見られ、「どうせ1、2年で帰るんだろ」「実力もないくせに俺らアメリカ人選手の枠を取るなよ」と、実力以下の評価をされてしまいます。
野球に限らず、僕が考える「望ましい留学」の形は、相手国のよさを理解し、自分の出身国のよさを理解してもらって、自らが国際交流の架け橋となりうること。「アメリカ人ってアホだけどこういうところもあるんだぜ」「日本人って仏頂面だけど意外と明るいんだぜ」と、相互理解を深め、次の留学生が来やすくすることだと思います。
新庄選手が「留学生」として、どれだけ上記に近い形だったかはわかりませんが、今後の日米野球界にとって望ましい結果を残したものと願っています。お祭り好き、派手好きのアメリカ人から見れば、きっと「日本にも面白い奴がいるね」と思ってもらえたとは思いますが。
一方で伊良部選手は最悪の印象を残したようで残念です。以上、蛇足でした。
投稿者 ジョージ : 2005年02月08日 12:05
新年おめでとう。中国は旧正月真っ盛りです。
> 現時点で言えることは、以下4点。
> ・CMとしては形がどうあれ多くの人の興味を引いたので大成功
> ・新庄選手の渡米は、その後日本での彼のステータスが上がったのを見る限り大成功
> ・英語が上達したか否かはCMからはわからず
> ・他国の言語が喋れなくても野球ができれば選手生活は送れる
この4点に関して、最初の2点については俺にはわからないけど、
後半の2点についてはタケシの意見に100%賛成です。
この4点より以降に書いてある長文に関しては、最初に書いてあった文章とは随分と
主旨が変化している感じがします。俺が伝えたかったことは、最初に書いたことと同じで、
・CMの中のセリフで人を判断するのは、悪役の俳優を悪人だと判断するのと同じ。
・英語の発音はカタカナ風でもインド風でも豪州風でも相手に通じれば良い。
・英語を自由には使えないアメリカ国籍の人が、普通に生活を営んでいる。
の3つです。3番目を除いてはタケシに伝わった気がします。
もういちど考えてみて、やっとわかったんですが「アメリカに(長く)住んでいる以上はアメリカ英語を話すべきだ」とタケシは考えていて、俺はそう考えていないということなのかも知れません。既に書いた通り「郷に入れば郷に従え」には俺も賛成しています。しかしながらアメリカの文化は「最低限のルールさえ守ってれば個が尊重される」ものですよね。「郷に入っても郷に従う必要は無い」のが、この多民族国家のやり方なのでは無いのでしょうか?
ドアが閉まりそうな時、後ろに人がいれば抑えて待ってます。女性がいれば何かと優先します。誰かがくしゃみをすればBless youと言います。月曜日に人にあったら「週末はどうだった?」と聞きます。レジで買い物したら「良い1日を!」といわれて「ありがとう。あなたもね。」と言います。レストランではチップをあげます。。。私はアメリカ英語を話す努力をするつもりはありませんが、上にあげたような最低限のマナーくらいは「郷に従って」います。
確かにね、中国に2年間住んでいても「郷に従わず」に偉そうな顔して暮らしている日本人はたくさんいると思う。六本木のアメリカ人と同じだよね。タケシの言う通り、そういう人たちの姿勢に対して俺も疑問を感じるよ。でも、言葉をほとんど話せないのに現地に溶け込んでいる人がいるの知ってる。タケシの知り合いにもそういう人っているんじゃない?俺は流暢なアメリカ英語を話すことがアメリカでの生活に必要だとは思わないんだ。
投稿者 よっちゃん : 2005年02月08日 14:11
>後半の2点についてはタケシの意見に100%賛成です。
これは、元々の僕の意見ではなく、みんなの意見をまとめたものなので、みな同意してもらえるよね。
>最初に書いてあった文章とは随分と主旨が変化している感じがします。
上記の長文は、Blog本文で自分が「彼は馴染まなかったのか?」と感じた理由に対する補足、そう感じるに至った背景を含んでいます。その背景の一つが自分が違和感を感じた「カタカナ発音」。CMの演出かもね。
>・英語を自由には使えないアメリカ国籍の人が、普通に生活を営んでいる。
>「アメリカに(長く)住んでいる以上はアメリカ英語を話すべきだ」
よっちゃんは、「日本に(長く)住んでいる以上は日本語を話すべきだ」 と、思う? もしくは、「アメリカに(長く)住んでいる以上は英語を話すべきだ」 は、どうだろう?
僕は、どちらもYesで、更に、後者についてはアメリカで英語を話していればアメリカ英語が自然に身についていくものだと思います。イギリスならイギリス英語。日本で大阪在住なら関西弁。東京在住なら「標準語」。
だんだん、「その国の言語を話さない人は、郷に従っているのかいないか」という方へと話が変わっていますので、今日のBlogエントリにて展開してみます。これは興味深い。
投稿者 ジョージ : 2005年02月08日 18:25
やりとりが噛み合ってない気がしますので、
また時間が出来たら書き込みますね。
投稿者 よっちゃん : 2005年02月10日 05:39
噛みあってないか・・・。
文字だけ&リアルタイムじゃない環境でやりとりするのってむずいね。Blogに限らず、掲示板、メール等々。この続きは会ったときにでも話せたらいいな。
>俺が伝えたかったことは、最初に書いたことと同じで、
>・英語を自由には使えないアメリカ国籍の人が、普通に生活を営んでいる。
>の3つです。3番目を除いてはタケシに伝わった気がします。
ってことなんで、僕の意見としては「英語を流暢に使えなくても普通に生活を営むことはできるが、それは自分としての理想の生活像ではない」ということかな。
投稿者 ジョージ : 2005年02月10日 22:56
アメリカには多種多様な人々が生活をしています。
アメリカ英語を話す人だけがアメリカ人ではありません。
アメリカ英語を話さないヒスパニックもアメリカ人です。ブロンクス英語を話す人もチャイニーズ英語を話す人もアメリカ人だし、英語そのものが話せないアメリカ人だっています。それらを許容する文化こそがアメリカなのでは無いのですか?白人の主流派アメリカ人だけがアメリカ人では無いし、彼ら(主流派白人)のマネをするのがアメリカに馴染むことだとは思いません。むしろ、多様な文化を受け入れることがアメリカという国に馴染むことでは無いでしょうか?
繰り返し書いていますが、私は「郷に入れば郷に従え」には賛成しています。カタカナ英語を否定的に捉える意見に異論を唱えているだけです。そこには白人主流派がマイノリティに対して持っている傲慢や優越感が感じられませんか?白人主流派が話すアメリカ英語をマネすることが、アメリカを理解することやアメリカに馴染むことにつながるとは思いません。アメリカはカタカナ英語を許容する広い懐を持った国だと思います。
私は中国に暮らしていた時に「中国人になりたい」と思ったことがあります。中国料理を食べて、中国の服を着て、中国人の髪型を真似して、中国の習慣を学んで。。。幸いなことに見た目が似通ってますので、中国語さえ上手に話せれば間違えられることもあります。しかし、今は「中国人になりたい」とは思いません。日本人として中国に住めれば良いのです。カタカナ英語でもカタカナ中国語でも通じれば構わないと思います。
投稿者 よっちゃん : 2005年02月15日 06:04
とても興味深い記事・コメントになっているので私も自分の考えを書きたくなりました。
新庄とCMの件はほっときます。
理由:CMは広告代理店のマーケティングの仕方で決まるから
で、多分盛り上がってる本題は、
語学がNative化すること=その地域に溶け込むこと
というテーゼへの意見交換と見ましたがどうでしょうか?
そうだという前提での私の意見は、
語学がNative化することは地域に溶け込んでいる度合いを示すバロメーターに十分になる と思います。
しかし、一方でNative化してない(ココではカタカナ英語を例にしてますが)事は、かならずしも溶け込んでない 事にはならないとも思います。
上記が、どの国においても共通することかなぁと思うことですが、アメリカという点で、ちょっぴり上のいくつかのコメントに対して横槍をいれると、少なくとも、マクロに言えばよっちゃんのいう アメリカはふところが広いから、カタカナ英語でもOKなんだ というのはあると思います。しかし一方で、人間が関係性を持つ限られたコミュニティというか集団では、そこでの特性を同じ言語(アクセント、文化的背景を備えた語学能力)を持つことも暗に求められるものだと思います。
無論、そのコミュニティがたとえて言うなら留学生コミュであれば、それはお互いに外国共通語である英語という点で、多様性があるのかもしれませんが、既に気がついてると思いますが、アメリカは極めて多様な人々が、しかし同一の価値観をもった均質な集団で生きているセル体の集合であって、その同一のセルでは、実は上記の「同じ言語」というものが求められるのでは、もしくは元記事から言えば、身につくもの、身についたものがそのセルに迎え入れられていくものだ と私は思います。
あー出張前の深夜の乱文でスイマセン。こういうのを議論するの久しぶりです。好きなんだなぁと感じましたが。
投稿者 taka : 2005年02月17日 01:22
よっちゃん>多様な文化を受け入れることがアメリカという国に馴染むことでは無いでしょうか?
アメリカ文化が幅広い価値観を許容するというのは判ります。カルロスゴーンもシュワルツネッガーも母国語の訛りは強いけど、しかるべきポジションに居ます。ついでに言えばHikaru UtadaよりもPuffyのCDの方が売れているとか。アジア好き向けのカルトヒットかもしれないけど。
「相手国の言語を相手国の発音で話すことを努力すべきか否か」という点で、僕自身の価値観とよっちゃん自身の価値観に相違があるようです。
僕は、英語に限らずフランス語でも日本語でも、その国に数年住んでいたらその国の発音を習得するのが当然だと思っていました。今でもそう思っています。
それは「習得するべき」だから習得するわけでもなく、「カタカナ英語」「英語訛り日本語」が悪いわけでもなく、その国の主流派人民に媚びるために習得するわけでもありません。
日常生活でその国の人と接していたら、一番理解される発音を学ぼうとするからだと思います。Kuriちゃんが別のコメントに書いていたのに近いけど、容易に理解してもらえればコミュニケーションがスムーズに行き、もどかしい思いをする必要もなく、嬉しいからです。
http://kamesan.net/blog/archives/2005/02/post_143.html#c228 より引用
Kuri>発音がちょっとでも良くなる事で起こる自分の中でのちょっと嬉しい気持ち
英語を学び始めて1年目、イギリス人とテニスをしていた時に、"Are you having fun ? Want to do something else ?"と聞かれ、中途半端な英語で「退屈になってきた」を言おうとしてカタカナ英語で"アイム ナウ ボーリング"と言ったら、真剣に"No, you're not bowling, you're playing tennis"と言われ、真剣にRの発音を練習しました。
フランス語の授業で"J'ai mangé le petit déjeuner à 7 heures."というのを、アメリカ人が"ジェイ・マンゲー・レ・プティ・デジャウネー"と発音し、また、その発音を直せないアメリカ人先生を見て、通じないフランス語を学ぶのは時間が勿体無いと思いました。
フランス語の"r"の、タンを喉から出すような(失礼・・・)ウ゛・・・ ウ゛・・・ ウ゛という発音を必死に練習して、フランス人に「Rの発音ちゃんとできてるね」と言われたときに嬉しく思いました。
そういう思いがあるから、僕は相手国の言語を話すにあたり、できるだけ相手の発音を聞き取り、真似しようとしています。
最後には、通じればいいし、話している発音よりも内容が重要なのは判るけど、自分は相手の発音に少しでも近付きたいと思います。また、それをすることで自分のアイデンティティが無くなるとも思いません。
>カタカナ英語を否定的に捉える意見
という意味では、カタカナ英語そのものに関してはみんなが言うとおり「通じればOK」なので否定しません。
ただし、言語教育において発音を重要視しない風潮があるとすれば、疑問を感じます。日本語でも中国語でも英語でも、一番通じやすい発音を学べる環境が僕の理想です。個人的な意見ですが。
投稿者 ジョージ : 2005年02月17日 01:49
> 「相手国の言語を相手国の発音で話すことを努力すべきか否か」という点で、僕自身の価値観とよっちゃん自身の価値観に相違があるようです。
その点で相違は無いと思います。相手国の言語を相手国の発音で話すことを努力することに異論を唱えるつもりはありません。アメリカという国においてアメリカ英語がそれにあたるのですか?と言っているのです。一番最初に書いた3つのポイントの3つ目に書いていることです。1つ目と2つ目は理解してもらったみたいなので、是非とも3つ目も理解してもらいたいと思ってます。
俺が論点にしたいことが、なかなかタケシには伝わっていないと感じます。俺の意見とタケシの意見が違うのであれば、俺もここまで執拗に書き込みません。そういう考え方もあるなぁ、とお互いに思えれば良いでしょう。そうではなくて、俺の意見がタケシに伝わっていないと思うので、こうして書き込んでいるのです。
アメリカほどには複雑ではないけど、日本にも多種多様な方言が存在しています。つくば市のマジョリティは茨城弁を話しますが、大学キャンパスでは標準語(共通語)の日本語が主に使われています。つくば市での生活に馴染むために茨城弁を修得することには賛成です。しかし、博多弁(や神戸弁や津軽弁)を使い続けることが、大学キャンパスに馴染まない姿勢なのでしょうか?標準語(共通語)を使わないと仲間に溶け込めないのでしょうか?私はそう思いません。では、アメリカという国はアメリカ英語を話さないと馴染めない国だと思いますか?
タケシはMBA留学をするようだから白人主流派との交流が多くなるでしょう。そこに馴染むためにアメリカ英語を話したいと思うかも知れません。でも俺は、カタカナ英語で白人と対等に渉り合う日本人がいたって良いと思うし、アメリカはそれ(カタカナ英語)によって馴染めなくなる国だとは思わないのです。
投稿者 よっちゃん : 2005年02月17日 05:21
Taka>語学がNative化することは地域に溶け込んでいる度合いを示すバロメーターに十分になる と思います。
Taka>しかし、一方でNative化してない(ココではカタカナ英語を例にしてますが)事は、かならずしも溶け込んでない 事にはならないとも思います。
Taka、綺麗にまとまってる!数学の教科書に出てくる定義みたいだ。Takaの意見は僕が考えていることを端的にまとめてくれてます。日本語うまいなあ。俺ヘタ。
--
よっちゃん①>[相手国の言語を相手国の発音で話すことを努力すべきか否か]⇒その点で相違は無いと思います。相手国の言語を相手国の発音で話すことを努力することに異論を唱えるつもりはありません。アメリカという国においてアメリカ英語がそれにあたるのですか?
よっちゃん②>英語を自由には使えないアメリカ国籍の人が、普通に生活を営んでいる。 ( ← 以前のコメントの「3つ目のポイント」 )
よっちゃん③>では、アメリカという国はアメリカ英語を話さないと馴染めない国だと思いますか?
僕の言いたいことで伝わってないかも・・・と感じるのが、これです。
・馴染む事のみを目的として発音を真似するのではない
・馴染んだ結果として、いつしか発音が身についている
・アメリカで生活した結果身につく発音は、多くの場合「アメリカ英語」である
他国を持ち出すとややこしいし、よっちゃんはアメリカに絞っているようなので、話の枠をアメリカに絞ります。
よっちゃん③について。アメリカという国にマクロに(←Takaの言葉借ります)馴染むのにあたって、アメリカ英語は必要ありません。同意。シュワルツネッガーは、ボディビルダーから映画スター、そして知事。アメリカンドリームの体現者。十分にアメリカ合衆国に馴染んでいます。
よっちゃん②について。英語を自由には使えないアメリカ国籍の人が、普通に生活を営んでいるのも判ります。アメリカには英語を必要としないコミュニティが至る所に存在しているから。買い物、友人、家族、行政、周囲の多数派が白人でなければ、英語を自由に使えなくても困らない。役所の人間にスペイン語を喋れる人は沢山いる。ヒスパニック系なら英語駄目でもあまり困らないでしょう。
よっちゃん①について。ここが一番互いの意見を伝えにくいところだと思います。
僕の考えでは、アメリカという国においてアメリカ英語(=白人英語)が「相手国の発音」かというと、僕はそうだと思います。細かいことを言うと、「アメリカ英語」は曖昧な捕らえ方で、実際は「ミシガン英語」「ニューヨーカー英語」「フロリダ英語」等々と細かく分かれています。なので、住んでいる地域によって変わりますが、ミシガンにおけるミシガン英語が「相手国の発音」にあたり、フロリダにおけるフロリダ英語が「相手国の発音」にあたると思います。
よっちゃんが言わんとしているのは、以下だと想定します。
・アメリカ住人の全てが白人ではない
・ヒスパニックも黒人もアジアンも多く住んでいる
・にもかかわらず、なぜ*アメリカ英語*(≒白人英語)を喋ることにタケシはこだわるのか?
ぶっちゃけ、白人英語を喋ることにこだわりも必要性も感じていません。もし自分が日常で接する人の多くが白人なら白人英語を*結果的に*喋るだろうし、多くがヒスパニックだったら*結果的に*Spanglishを喋るだろう、という風に僕は考えているだけです。その人たちと喋っていれば、「結果的に」その人達の発音を喋るようになるだろうというのが僕の言いたいことです。
その人達(白人、ヒスパニック、南部訛り、西部訛りの人 etc)に取り入ったり媚びたりするためにその人達の発音を喋るのではありません。その人達と、より円滑にコミュニケーションを取るために、彼らの訛りをよく聞く、そして真似する。結果的に、その訛りを自分も習得している、ということ。伝わるかなあ。
今現在、僕が仕事で接するアメリカ人の多くは白人です。その結果、僕が話す英語は白人英語です。もし、僕がジャズピアノで生計を立てていて、日常で黒人ジャズメンと多く接していたら、僕が話す英語は黒人英語に近いものになります。発音に限らず文法まで変わって、I'm not going to .... をI ain't never gonna ... と言ってみたり。媚びているのではなく、無意識に感化され、自らの話し方を変えるのです。オンとオフで相手国の人間と接している時間の積算が、自分の発音の変化に現われると思います。
もし、アメリカに住んでいてもアングロ系のアメリカ人と接しない、黒人とも接しない、ヒスパニックとも接しない、という生活を送っていたら、一生英語を喋らないかもしくは喋ってもカタカナ英語になります。
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以下、アメリカから離れて脱線します。僕の想像なので、適当に流し読みして下さい。
・青森からの学生が大学キャンパスに馴染むにあたって、もし周りの生徒が津軽弁を理解できなかったら自分が困る。みんなが理解できる発音は何か?標準語だ。だから自分も標準語を喋る → 馴染もうとした結果。
・博多からの学生が大学キャンパスに馴染むにあたって、博多弁は比較的標準語に近いので、90%理解される。理解に困らないから、博多弁を喋り続けられる → 馴染んでるし博多アイデンティティを保っている
・筑波大学キャンパスでの生活に茨城弁は必要ないから多くの学生は茨城弁を喋らない。でも、バイト先のマスターが茨城弁で「永田くーん、バイト中にピアノ弾いたらだめでしょーよぉー」と茨城弁を喋るので、僕もいつしか「マスター、あまり飲みすぎたらだめでしょーよぉー」と、茨城弁に感化された。数年のバイトでマスターやスタッフと馴染んだ結果。
・日本からの学生がフロリダに留学をした。現地の人と馴染もうとするにあたり、一番通じるのが南部訛りの英語だ。自分も南部訛りを話してみよう。馴染もうとした結果。
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投稿者 ジョージ : 2005年02月17日 10:09
丁寧語になってしまうのは長文を書くときの癖なので、他意はありません。気にしないで下さいね。
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> 僕の言いたいことで伝わってないかも・・・と感じるのが、これです。
> ・馴染む事のみを目的として発音を真似するのではない
> ・馴染んだ結果として、いつしか発音が身についている
> ・アメリカで生活した結果身につく発音は、多くの場合「アメリカ英語」である
馴染む事のみを目的として発音を真似するのではないというのは、どういう意味でしょうか。発音は「真似する」のではなく「結果的に身につく」ものだとタケシは言っているんですよね?馴染んでいれば発音は結果的に身についてくるが、他の目的(例えば?)があるので、身につく前(馴染む前)から発音を真似することが必要であるということですか?ちょっと説明が欲しいです。次の、馴染んだ結果として、いつしか発音が身についてくることには全く反論はありません。。。ので、2番目は伝わってます。しかし、発音が身につくことが良いことで、発音が身につかないことが悪いことだとは思わないので、最初のトピックであるSHINJO選手のカタカナ発音へのタケシの感じ方に疑問を感じて、一連のやりとりを始めました。で、3番目については、マイノリティの存在を意識してくれているようなので、表現の仕方は逆(要するに立っている場所は反対)だけど、俺もタケシも同じ事を言っていると考えます。ちなみにタケシが汲んでくれているように、俺はアメリカに絞って書いているつもりです。
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> ・現地になじまなかった日本人の姿が「フリィーダァァム!」から感じられて悲しいのでございます。
←カタカナ英語は現地に馴染まなかった日本人の姿(否定的な見方)を連想させた。
> ・「カタカナ読み」発音や外国人による「コンニチワァ」発音が良い、良くないというのは問題にしていない。
←カタカナ英語やカタカナ日本語に対して否定的な見方を持ってない。
> ・もし真摯な態度でアメリカ人と接していたら自然とアメリカ英語を喋るようになるよな、という違和感をCMから覚えた。
←カタカナ英語を話しつづけるのは真摯な態度でアメリカ人と接してなかったからだ(否定的な見方)。
> ・カタカナ日本語を喋るアメリカ人は、現地に馴染む姿勢と感じる
←アメリカ人が日本でカタカナ英語を話すのは日本に馴染む姿勢(肯定的な見方)だと感じる。
> ・カタカナ英語そのものに関してはみんなが言うとおり「通じればOK」なので否定しません。
←カタカナ英語に対して否定的な見方を持ってない。
主張が混ざっているように感じられるので理解が難しくなります。「カタカナ英語はダメで、きれいなアメリカ英語を話すべきだ。」と主張されたら、「そっか。意見が違うんだね。」で終わるのですが、タケシの意見はそうでは無いようなので真意を確かめたくなります。米国滞在暦の長さによって日本人の話すカタカナ英語の評価が変わるのでしょうか?博多弁やドイツ訛り英語を話す人からは「馴染む姿勢」を認められるのに、なぜカタカナ英語だけが認められないのでしょうか?そこらへんが気になります。さらには、アメリカ人のカタカナ日本語には肯定的なのに、日本人のカタカナ英語には違う意見をもっている点にも俺は疑問を感じました。
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ジョ>>> 現時点で言えることは、以下4点。
ジョ>>> ・CMとしては形がどうあれ多くの人の興味を引いたので大成功
ジョ>>> ・新庄選手の渡米は、その後日本での彼のステータスが上がったのを見る限り大成功
ジョ>>> ・英語が上達したか否かはCMからはわからず
ジョ>>> ・他国の言語が喋れなくても野球ができれば選手生活は送れる
>>
よ>> この4点に関して、最初の2点については俺にはわからないけど、
よ>> 後半の2点についてはタケシの意見に100%賛成です。
>
ジョ> これは、元々の僕の意見ではなく、みんなの意見をまとめたものなので、みな同意してもらえるよね。
少し前の書き込みになりますが、「現時点で言えること」は「元々の僕の意見では無いが、現時点の僕の意見」だと理解して良いのでしょうか?それとも、「みんなの意見をまとめたもの」は「元々の僕の意見」でもないし「現時点の僕の意見」でもないと理解したほうが良いのでしょうか?けっこう重要なことだと思うので、再確認の意味で、ね。
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> ぶっちゃけ、白人英語を喋ることにこだわりも必要性も感じていません。
このコメントもまた、前後のつながりを噛み砕くのを困難にさせているような気がします。少なくとも俺にとっては。
もしも、この「ぶっちゃけ」が本当なのであれば、最初のSHINJO選手への感想はどこから湧いてきたのでしょうか?
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> もし、アメリカに住んでいてもアングロ系のアメリカ人と接しない、黒人とも接しない、ヒスパニックとも接しない、という生活を送っていたら、一生英語を喋らないかもしくは喋ってもカタカナ英語になります。
> 博多からの学生が大学キャンパスに馴染むにあたって、博多弁は比較的標準語に近いので、90%理解される。理解に困らないから、博多弁を喋り続けられる → 馴染んでるし博多アイデンティティを保っている
タケシの中で、カタカナ英語は理解されないものだという前提があるのでしょうか?ドイツ訛りにも博多弁にも認められることが、なぜカタカナ英語だけに認められないのか理解に苦しみます。「日本人なのに英語の発音が上手だね。」と言われたことのある人、けっこういるんじゃないでしょうか。私は(そんなに上手ではないですが)こう言われると、「発音のじょうずな日本人はアメリカに来ないからね。」などと言い返してます(ジョークとしてですが)。ドイツ訛りの英語が市民権を得るのにどれくらいの時間がかかったのかわかりませんが、いずれは日本語訛りの英語としてのカタカナ英語が市民権を得ても良いと思います。どうでしょうか?
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もしかすると「アメリカ英語」「カタカナ英語」の定義から始めないといけないかも知れませんね。
アメリカ英語はアメリカで高等教育を受けた白人のアメリカ人によく見られる発音の英語で、
カタカナ英語は日本で英語教育を受けた日本人によく見られる発音の英語ってことでいいよね?
投稿者 よっちゃん : 2005年02月19日 08:41
よっちゃん>「カタカナ英語はダメで、きれいなアメリカ英語を話すべきだ。」と主張されたら、「そっか。意見が違うんだね。」
僕の考えは、もう少し冗長です。実際はこれよりもっともっと長いんですが、整理しきれないのでこのぐらいにまとめてみます。
・カタカナ英語を否定しないが、肯定もしない。
・カタカナ英語は通じないときもあるが、アメリカに馴染むにあたってそれが必ずしも弊害になるとは限らない。
・現地の人と仲良くなって自分の周りでカタカナ英語がコンテキストに応じて臨機応変に理解されるようになればさほど不便ではない。だが、相手に自分を理解してもらうための努力を強いることになる。
・1年以上の長いスパンで、日本人とだけでなく現地の人と接していれば、そこの発音を徐々に習得するだろうし、その際に習得しやすいのはアメリカであれば一番メジャーなアメリカ英語、すなわち白人英語であろう。
・ただし、そこに住む人間が自分の発音を現地の発音に少しでも合わせるメリットを感じ、それに努力を惜しまないことが、上の主張の前提となる
・「白人英語」至上主義ではない。白人英語が一番「偉い」から習得すべしという意見ではない。自分が属するコミュニティにヒスパニックが多いのであれば、そこで習得しやすいのはスペイン英語である。
・とはいえ、いわゆる白人アメリカ英語、オーストラリアやNZ英語、イギリス英語が世界で一番理解されやすい英語である。
・日本語での標準語にあたる英語はアメリカ白人英語だと思う。(イギリス人はイギリス英語が標準語だと思っている ;-) )
・標準語スピーカーにとって、博多弁は理解しやすい。日本人にとって、程度の差はあるがカタカナ日本語も理解しやすい。
・アメリカ人にとって、カタカナ日本語は誤解されやすい。Presidential Erection jokeや、"Lip my stocking" (Lost in Translation) はカタカナ英語の誤解されやすさを揶揄している。
長いので続きはまた書きます。
投稿者 ジョージ : 2005年02月19日 19:00
上の考えを踏まえて、僕のコメントを読んでもらえると助かります。今までのコメントを局所的に読むだけでは「ダブルスタンダード」な部分が沢山あります。自覚して書いている部分も、無意識に書いている部分もあります。
>発音が身につくことが良いことで、発音が身につかないことが悪いことだとは思わない
この点で僕とよっちゃんは考えが異なります。最初はカタカナ英語でもいいと思うけど、住んでいる限りは発音を身につけるメリットこそあれデメリットはないと思います。「博多弁 in つくば」や「カタカナ日本語 in Japan」と「カタカナ英語 in アメリカ」の違いは、通じるか通じないかの違い。カタカナ英語はRとL、YとE、ZとThを注意して言い分けないと意味が異なる言葉になります。
>>馴染む事のみを目的として発音を真似するのではない
>>馴染んだ結果として、いつしか発音が身についている
>発音は「真似する」のではなく「結果的に身につく」ものだとタケシは言っているんですよね?
発音は真似するものです。日常生活で発音を真似することで、生活者が*馴染んだ頃に結果的*に身に付いているものと思っています。真似するにはまず聴かなくてはならない。現地の人と長い時間接していなければ、そもそも聴けない。ラジオやテレビ以上に、会話でヒアリング能力は確実に上がります。その人が馴染んだ頃には英語での日常会話を多くこなしてきたはずで、「そういえば英語の発音も身についてるな」と感じるもの、という意味です。
数年間経っても英語の発音が変わらない人、影響されない人は、以下のどちらかだと思います。
・現地人/白人とあまり接しない人≒自国人のコミュニティで生活する人
・英語を発音まで聴き、自分の発音と比較し、真似する事にメリットを感じない人
僕は、「現地のコミュニティと多く接する」派であり、かつ、「発音を真似することにメリットを感じる」派です。
>他の目的(例えば?)
コミュニケーションのスピードを上げることや、もどかしい思いをしなくて済むこと。
日本語において標準語を話すメリットは、日本人の100%が理解できる、ということです。英語における標準発音、すなわち、一番多くの人が理解できる英語があるとすれば、それはインド英語でもカタカナ英語でもなく、白人英語です。デートでも、授業でも、買い物でも、標準英語が話せれば相手がアメリカ人でもインド人でも中国人でも理解される度合いが高まります。
逆に、強いインド英語は白人には90%理解できますが、日本人には30%ぐらいしか理解できません。カタカナ英語は白人に80%理解されるかもしれませんが、インド人には50%ぐらいしか理解されないかもしれません。白人英語の発音が話せる事は、「発音を真似ることで郷に従っている姿勢を示す」だけでなく日々の生活を楽にします。
「僕はインド人だからインド英語でいい」
「僕は中国人だから中国英語でいい」
という考えを否定はしませんが、僕はnon-native不便に感じます。また、カタカナ英語を話す事を日本人のアイデンティティとは考えないので、僕は白人英語を真似します。
>最初のトピックであるSHINJO選手のカタカナ発音へのタケシの感じ方に疑問を感じて、一連のやりとりを始めました。
そもそも、カタカナ発音そのものに疑問を感じたわけではなく、CMの彼がアメリカに5年間居ても馴染めなかったある人を思い出させたのでこのエントリを書きました。
今までに会った英語圏への留学経験者や帰国子女の場合、1年以上現地に居た人、現地校に通っていた人のほとんどは、程度の差こそあれ白人英語を喋っていました。Z-とTh-や、RとLの発音分け、what are you ...というのをワラーユー.. と繋げて発音する等。そういう人達は現地の人と日常で接していたし、日ごろ一緒に遊んでいた、アメリカ/イギリス/オーストラリアが好きだ、という話でした。
一方、5年間アメリカに住んで現地校にいたのに、完全にカタカナ英語だった人も居ました。その人は発音だけでなく英語も不得意で、「彼らは本音と建前でなく、建前と建前しかない」「アメリカ人が嫌いだったから日本人としか遊ばなかった」と言っていました。それを聞いて僕は「この人は馴染まなかったんだな、可愛そうに」と思いましたが、その人にとっては馴染まなくてもよかったのかもしれません。
発音が演出だったかどうかは考慮せず、とにかくこの人と新庄君がだぶったのでした。
まだ細かい質問には答えていないので、また数日後にでも。
投稿者 ジョージ : 2005年02月25日 01:03
まだ書き終わってないようなので、続きを楽しみにしています。
投稿者 よっちゃん : 2005年02月25日 05:47
さて、しばらく経ったところで。
読み返してみて、どうでしょうか。
続きを楽しみに待ってますよ。
投稿者 よっちゃん : 2005年03月10日 19:17
まずは、個別の質問に答えて、その後全体的な話をします。
よ>アメリカ英語はアメリカで高等教育を受けた白人のアメリカ人によく見られる発音の英語で、
よ>カタカナ英語は日本で英語教育を受けた日本人によく見られる発音の英語ってことでいいよね?
御意。
以下肯定・否定が色々混じっているのは、文脈やシチュエーションで自分の感覚が違うからです。
た>> ・現地になじまなかった日本人の姿が「フリィーダァァム!」から感じられて悲しいのでございます。
よ> ←カタカナ英語は現地に馴染まなかった日本人の姿(否定的な見方)を連想させた。
た>> ・もし真摯な態度でアメリカ人と接していたら自然とアメリカ英語を喋るようになるよな、という違和感をCMから覚えた。
や> ←カタカナ英語を話しつづけるのは真摯な態度でアメリカ人と接してなかったからだ(否定的な見方)。
一個前のコメント参考。自分の周りにそういう人がいたので。
た>> ・「カタカナ読み」発音や外国人による「コンニチワァ」発音が良い、良くないというのは問題にしていない。
よ> ←カタカナ英語やカタカナ日本語に対して否定的な見方を持ってない。
た>> ・カタカナ日本語を喋るアメリカ人は、現地に馴染む姿勢と感じる
よ> ←アメリカ人が日本でカタカナ英語を話すのは日本に馴染む姿勢(肯定的な見方)だと感じる。
よ>さらには、アメリカ人のカタカナ日本語には肯定的なのに、日本人のカタカナ英語には違う意見をもっている点にも俺は疑問を感じました。
カタカナ日本語のアメリカ人に対しても、滞在期間次第では否定的な見方をします。来日アーティストがカタカナ日本語なのは当たり前だけど、日本に2年住んでいる人が「ドモアリガットゴザーイマース」と言ったら「ああ、この人日本人とあまり接してないな」と思います。もしくは、接しているけどあまり日本語の習得に真剣でないと。ついでに言えば、「帰国子女」が日本に帰ってきて10年経ってるのに、英語交じり日本語を喋るのも僕は好みません。
た>> ・カタカナ英語そのものに関してはみんなが言うとおり「通じればOK」なので否定しません。
よ> ←カタカナ英語に対して否定的な見方を持ってない。
言語は最終的には通じればOK。発音を理由に話さないよりは、がむしゃらに喋った方がいいと思います。というか、ひたすら喋らないと言語は上達しないから。
よ>米国滞在暦の長さによって日本人の話すカタカナ英語の評価が変わるのでしょうか?
そうです。滞在暦と比例して発音も変わる人も居れば、全く変わらない人もいます。もし変わらない理由が「日本人としか接していないから」ということであれば、僕は「もっと接すればいいのに」と強く思います。変わらない理由が「現地人と日々接して言語は習得しているが、発音まで苦労して習得しようと思わないから」であれば、別にいいと思います。
よ>博多弁やドイツ訛り英語を話す人からは「馴染む姿勢」を認められるのに、なぜカタカナ英語だけが認められないのでしょうか?そこらへんが気になります。
ドイツ訛りもフランス訛りもインド訛りも聞き取りづらいですね。アメリカに暮らして、現地人と長く・頻繁に接している各国人は、(自分の感覚では)8割程度のアメリカ英語を喋ります。相対的に、アメリカに長く住んでいるイギリス人は、意地でもイギリス英語で話していました。これは、彼らの英語のアイデンティティという意味で、関東での博多弁に近いですね。博多弁 in Japanも、イギリス英語 in アメリカも、共通点は「発音を変えなくても99%通じるからいいよね」ということでしょうか。
た>> これは、元々の僕の意見ではなく、みんなの意見をまとめたものなので、みな同意してもらえるよね。
よ>少し前の書き込みになりますが、「現時点で言えること」は「元々の僕の意見では無いが、現時点の僕の意見」だと理解して良いのでしょうか?
そうです。
た>> ぶっちゃけ、白人英語を喋ることにこだわりも必要性も感じていません。
よ>このコメントもまた、前後のつながりを噛み砕くのを困難にさせているような気がします。少なくとも俺にとっては。
よ>もしも、この「ぶっちゃけ」が本当なのであれば、最初のSHINJO選手への感想はどこから湧いてきたのでしょうか?
「白人英語」ですね。別に黒人英語でもヒスパニック英語でもいいと思います。繰り返しになりますが、白人至上主義社会に取り入るために白人英語を喋るべきとは言っていません。日本人が数年間ヒスパニックコミュニティに住んでいたならば、ヒスパニック英語。黒人コミュニティだったら、同じく。新庄選手は白人コミュニティで数年暮らしたのだから、当然白人英語を喋るものと僕は思っていましたが、少なくともCMの中ではその片鱗はありませんでした。
た>> もし、アメリカに住んでいてもアングロ系のアメリカ人と接しない、黒人とも接しない、ヒスパニックとも接しない、という生活を送っていたら、一生英語を喋らないかもしくは喋ってもカタカナ英語になります。
た>> 博多からの学生が大学キャンパスに馴染むにあたって、博多弁は比較的標準語に近いので、90%理解される。理解に困らないから、博多弁を喋り続けられる → 馴染んでるし博多アイデンティティを保っている
よ>タケシの中で、カタカナ英語は理解されないものだという前提があるのでしょうか?ドイツ訛りにも博多弁にも認められることが、なぜカタカナ英語だけに認められないのか理解に苦しみます。
カタカナ英語でも理解されないことはないですが、程度次第では通じなかったり誤解されやすいです。英語Nativeな人に対してなら通じる場合が多いけど、英語Non-natvieな人には通じない場合が多い。カタカナ英語に限らず、酷いドイツ訛り、インド訛り中国語訛りも同じく。カタカナ英語とドイツ英語、僕は同じ位置づけで見ていますよ。ドイツ訛りを「認めた」ことはないです。
よ>>ドイツ訛りの英語が市民権を得るのにどれくらいの時間がかかったのかわかりませんが、いずれは日本語訛りの英語としてのカタカナ英語が市民権を得ても良いと思います。どうでしょうか?
ドイツ訛り英語が市民権を得ているか・・・わからないですね。ドイツ訛りは判りづらいなあと思っていました。普通のアメリカ人でも同感かも?
カタカナ英語の市民権。面白い発想ですね。今後、アメリカ在住の9割の日本人がカタカナ英語を喋るようになったとしたら、それは恐らく「カタカナ英語が市民権を得た」状態だと思います。そのような状況とは、即ち力強い日本人コミュニティができあがり、公私で日本人が現地人よりも日本人と多く接している場合、発生するものだと思います。「日本村 in USA」です。外人村 in 六本木と同じで、あまり好ましくないですね。
以下、全体的な意見。
僕は、そこに住んでいる限りはそこの多くの人に一番理解されやすい言葉で喋りたいと思います。"Say what ?"と聞き返されるよりは、相手やテレビでや音楽から現地人の話し方を注意して聞いて、その発音を真似することに最大限の努力をします。直接的なメリットとしては、コミュニケーションのスピードが上がることと、もどかしい思いをしなくて済むこと。二次的なメリットとして、発音がNativeに近ければ近いほど、最初の一言で相手国コミュニティの一員として見られやすい、故にRace barrierを越えやすい、ということです。
だからといって、カタカナ英語が悪いかといえば、悪くない。「カタカナ英語だから・・・」と言って英語を喋るのを最初から放棄していれば、コミュニケーションなんか取れません。コミュニケーションを取るための会話なんだから、発音は気にせずとにかくひたすら喋るべきです。相手に何度か聞き返されたとしても、最後には通じればいいと思います。
これってダブルスタンダードですか?矛盾してますか?
誰しも、何年かアメリカに住んでいて、日本人バーだけでなく現地の普通のバーに飲みに行って、オンでもオフでも彼らと接していれば、Native英語もしくはそれに近いものは習得できます。
発音の習得には個人差はあります。3ヶ月でガラリと変わる人も、1年でRとLの発音しわけができるのも、EarとYearを聞き分けるのに10年かかる場合もあります。潜在的能力に個人差があったとしても、結局のところ「どれだけの時間会話をしたか」という絶対的な会話量と、「Nativeの発音と自分の発音の違いはどこだろう?」という探究心と「発音をNativeに近づけよう」という気持ちが変化に現われます。
日本人同士で日本語しか話さなければ、変わりません。体当たりで相手国人と接していれば、少しずつ変わります。
じゃあ、日本人全員がアメリカ英語を話すべきか?と問われると、どちらでもいいと思います。価値観の問題ですから。
僕は「話す派」
よっちゃんは「あえて話さない派」
ということで、結論になってますか?
この返答を練るのに3時間ぐらいかかり、よっちゃんがこれに更に細かく返答するには5時間ぐらいかかりそうなので、細かい引用は終了します。意見交換はあらかた終わったと思うので、後はよっちゃんが総論を述べてくれればそれで相互理解は完了するかな?足りないところは次に会ったときに話しましょう。
投稿者 ジョージ : 2005年03月14日 02:55



